声が出ません

4日ほど前からくしゃみが出て、鼻声となり昨日はのどがガラガラとしていましたが、今日起きると声が出なくなっていました。委員会や重点課題ヒアリング、政務調査会の会議、来客対応など、普段以上に予定がぎっしり詰まっているのに、肝心の声が出なくては話になりません。会議の進行は代理に任せ、必要な時はスカスカという声で相手に聞き取ってもらいました。何年かに一度は風邪をひくとこのようにのどをやられます。早く寝てゆっくり休んだほうが良いと言われながら帰ってきました。

道外から見た北海道

議会の議員研修会で、日銀札幌支店長の小高氏をお招きし北海道の現状と将来を学びました。現在の北海道は、製造業のウエイトの低さ、人口減少・高齢化の進展、広い大地・地域によるバラつき、低気温・多積雪などの特徴があり、ひとり当たりGDPも全国の80%余りと低い状態。20歳前後の若者の転出数が多く進学や就職で北海道を離れる若者が多いなどの特徴を持っているなど様々なデータを次々と示したうえで、労働生産性の向上が必要であるが、そのポイントは女性の活躍と省力化投資がカギとなる、などというものでした。北海道はまだまだ可能性だけの大地なのかもしれないと思いました。

私学に関する要請

毎年この時期に教育振興議員連盟の役員として東京へ行き、私学助成や私学の耐震補強に対する助成について要請してきましたが、今年はそれに加えて地震によって被災した生徒に対する修学助成についても国の全額支援を要望しました。毎年この段取りをつけてくれているのは堀井代議士、そして要請を受けるのは今回文部大臣政務官になった中村代議士と、かつての仲間であることは非常に心強いものです。このほかなかなか会えない財務省の主計局次長にも会って  実情を説明し財務省側の意見も聞けたことは大きな収穫でもありました。

直行便

明日の私学校舎の耐震補強助成に関する要望のため、久しぶりに中標津から直行便に乗りました。東京へ行くときはたいていは札幌にいて出かけるので機会が少ないのですが、日曜日だったからではないのでしょうが、結構混み合っていました。これは地元の者としてはうれしいことでもっともっと乗ってくれるよう様々な仕掛けが必要と思っています。根室管内の魅力がもっともっと広められれば、二次交通を含めた迎える体制をどう作っていくか、北海道の東の果てが単なる田舎でなくなる日を夢見ています。

文化の日

文化の日ということで、この日を中心に各地で様々な催しが開かれています。秋らしく菊花展や、書画の展覧会、芸能祭・音楽祭など多様です。こうして節目節目に何かを集中して開いていくのも日本の伝統と言えるかもしれません。玄関前に国旗を掲げ祝日を祝いましたが、この日は過去には「明治節」といって、明治天皇の誕生日を祝う日でしたし、戦後新しい日本国憲法を発布した日でもあります。季節の変わり目とともに、時代の変わり目も感じさせられる11月3日です。

特養30周年

中標津町の特別養護老人ホーム「りんどう園」が、創立30周年を迎え今日記念式典が開かれました。当時全道でも最も高齢者割合の低い中標津町でしたが、次第に自宅介護のできない高齢者が増えて、根室管内でも特別養護老人ホームが必要と石田医院の石田医院長が呼びかけて社会福祉法人を結成し創立に至ったもので、平成24年には定員の倍に及ぶ待機者の解消を目指してユニット型特養(40床)を増設し30名余り のデイサービスとショートスティ10人を加えて130人余りの高齢者の拠り所となっています。今後ますますその需要が高まっていくと予想され、さらなる充実発展が期待されています。

六位一体協議会

がん対策を進めるための六位一体会議(医療、行政、議会、患者、マスコミ、企業関係者)が開かれました。がんは今や国民の半分が罹患しその三分の一ががんが原因で亡くなるというほど多くの国民に広がっていることから、がんを減らすことや、がんにかかった方の就業支援などを一連の中で進めようとして北海道がんセンターの近藤院長(故人)と医師会の長瀬会長の提唱で結成されたものです。今日の会議は七月に開かれたがんサミットで纏められた様々な対策をもとにした要望書の内容と要望会の日程を協議したものです。地道ですが積み重ねの中から少しでも前進をと思っています。

あっという間の一週間

21日の投稿以来あっという間に一週間がたちました。様々な行事日程の中でいったんブログを入れずに楽をするとそのままずるずると日が経ってしまいました。忙しい中で何となく息抜きをしたいという気持ちが、このように無為の日を過ごしてしまうことを肝に銘じて明日からまた再スタートすることにします。

7回忌

父が亡くなって今日で丁度6年がたち、家族が集まってささやかに7回忌の法要を行いました。父は当時数え95歳でしたが、平均年齢よりは長生きでした。昭和3年私の祖父について北海道に渡り、開拓の鍬をふるい、軍隊で満州の地にも行き私たち3人の子供を育て上げた人でした。今の私夫婦もそうですが母が頑張り屋で支えて今の酪農経営の基礎を築き上げました。大正生まれで昭和・平成と三つの時代を生きた先人の苦労を、まだ私たちは知っていますが、豊かになってから育った次の世代はその苦労を知らず先が心配です。

アイヌ民族文化祭

松浦武四郎北海道命名150年記念事業として、第31回アイヌ民族文化祭が標津町で開かれました。今から200年以上前の1789年、和人による商取引や過酷な労働環境に耐えかねたアイヌが蜂起し、和人商人や和人の船を襲い殺害したため、それ以来アイヌ語の使用や文化の伝承を禁止され、この地では一切の祭儀も禁止されて絶えていたところを12年前伊茶仁遺跡群を訪れた加藤アイヌ協会理事長が、この蜂起で処刑された20名のアイヌの慰霊をしないのはかわいそうと、イチャルパを再開して今年がその第10回となったことに合わせて、札幌や旭川といった都市以外では初めて標津での開催となったということです。会には阿寒と白糠のアイヌの人たちの踊りが演じられた他、三橋とらさんによる武四郎の紙芝居もありました。