合併に関する意見交換会

 道州制委員会で、旧法での合併がなかった支庁に出向き、市町村長さん達から意見を伺う、意見交換会を開き、今日は、留萌支庁管内で開催しました。小平町の会場には、9つの市町村の皆さんが集まってくれて、それぞれの意見を話してくれました。最初に、管内町村会長の、阿部初山別村長さんから、全体の経過についての話があり、平成14年から支庁全体での話し合いに入り、その後、南部・中部・北部の3地区に分かれて分科会を設け、それぞれ協議、平成16年には、南部と中部地区で法定協議会を設置して、合併に向けての協議に入ったが、重要事項についての意見の食い違いが出てきて、合併には至らなかったとのこと。これは、新町の名称や、総合支所のあり方、各町の振興計画がある中で、新町の計画が出来なかった。各負担の差異の是正が出来なかった、地域が廃れるなどの理由とのこと。どこでも同じようなことで行き詰まったことが伺えました。こんな中で、遠別町のように、すでに学校を一校に統廃合しており、下水道の配管も終わっていて、これ以上の合理化はなく、交付税が減ってもやっていけるとの判断をしたところや、前回の合併協議には、夢がなかったなど、今回の新法下での協議に、指針となる意見もありました。明日は、後志支庁に出向きます。

馬産振興

昨日の競馬大会のさい、輓馬に関係しているある方から指摘がありました。「道内の公営輓馬が、相次いで廃止を検討している。農水省に存続の陳情に行った時、北海道からは何の依頼もないと言われた。」とのこと。この輓馬は、それぞれの開催が市営なので、北海道としては、そのことをとやかく言う立場にはないし、北海道が開設している、北海道競馬の赤字をどう回復していくかでさえ、財政難の中で四苦八苦しているのが現状だと答えましたが、勿論その方は納得しませんでした。開拓時代から入植者と長く運命を共有してきた馬ですから、何とか北海道に馬文化を残したいという想いは私も同じで、そのためにどうしてやればいいのかを、一緒になって考えたいと思っています。何か良い案があったら教えて下さい。


馬事大会でご挨拶しました。

安心への努力

 さわやかな秋晴れの時期となって、日曜日は行事が目白押しとなります。今日は、中標津の競馬、消防団の総合訓練大会、空港祭り、陸上自衛隊別海駐屯地創立41周年行事などがありました。消防団は地域にあって、自衛隊は国の中で、住民の身体生命財産を守ることを主要任務にしています。人々の安心のために、日夜訓練を積み、一朝有事(ない方が良いのですが)に備えています。常に努力している人達に、感謝と理解をしてやることで、報いなければと思います。空港祭りでは、滑走路をバスで走るというイベントや、普段入れない管制塔の開放など、普段近寄れないところに、観客を入れて、これもまたどのようにして安全が守られたいるかを見て貰う目的もあります。様々なところで自分達の安全、安心が守られているのですが、時にその部分が欠落して大きな事故になります。もう一度自分達が、守ってもらうだけでなく、どのように他人の安全に係わっていけるか考えて行動すべきと思いました。



消防団と                自衛隊訓練展示

地方のうめきごえ

 地元を歩くと、色々な人の嘆きが聞こえます。
 以前から都会と地方の格差が開いていると言われていましたが、根室管内の4町は、漁業と酪農がしっかりと地域経済を支えていたため、他の地域と比較するとまだ良かった方でした。小泉内閣の構造改革と、財政の行き詰まりから来る公共投資の削減や、社会の諸制度の改革(?)の中で、競争力の弱い地方の企業の、業績不振が目立ってきました。事業コストを下げるため、これまで分割発注してきたものも、一括発注となり、ランクのより上の企業でなければ入札に参加できなくなったり、入札参加できる地域が広がって、ゼネコンや大手企業が落札する例が多くなって、それを仕事の欲しい地方企業に成り立たないほどの条件で下請けに出すというパターンが多く見られるようです。このようにして、利益は大手に集中し、中小企業は力をなくしていくことになっていきます。加えて好調を続けた酪農も減産に入ったため、投資抑制となり、農機具業界も、自家用車販売も売り上げが半減という中でうめき声が聞こえてきます。勿論夜の繁華街も、こうした中では閑散とせざるを得ず、私たちの支持した小泉構造改革を疑問視してしまう今日この頃です。このような路線を引き継ぐ人は、次の総理になっては欲しくないというのは、私だけではないと思います。どうすれば、後世につけを残さず、しかも格差を広げない政治が出来るかが、争点になるような総裁選挙になって欲しいと思います。

1万人

昨日、午後3時前、先に甲子園で北海道中を沸かせた、駒大苫小牧高校が、準優勝の報告に道庁を訪れ、道庁東側入り口前で、札幌市民に報告会をしました。私は、議会の屋上に出て、遠くから見物しましたが、広場には、これまでこれ程の人が集まったことがないほどの人人人でした。誰が数えたのか、1万人を超える数と言うことでした。初優勝の時より一段と多い人だったようです。どの試合も、もう駄目と思うような場面を何度も耐え抜き、決勝で息の詰まる好試合を繰り広げたのですから、北海道中の熱狂も当然でしょう。不景気と嘆いている私たちに、何かを訴えているのではと思います。

第31吉進丸銃撃・拿捕

 今日は、今回ロシア国境警備隊による漁船銃撃・拿捕事件についての議会要望があると言うことで、出札して議会で、根室管内の漁協組合長さん達からの要望を受けました。今回は、特に拿捕だけでなく、銃撃による死亡者も出ていると言うことで、領土問題のことや、漁場環境のこと、なども含めて一斉に動き出したものです。高橋知事や、三津水産林務委員長、高橋議長のあと、自民党政調会委員や、地元道議として要請を受けました。要望事項は、「銃撃・拿捕に至った事実関係の早期解明」「船長と乗組員及び船体の早期釈放」「万全な再発防止対策の構築」「同海域における安全操業確保のための強力な漁業外交の展開」の4点で、私も、いかなる理由があっても、死亡に至る銃撃は容認できないこと、領土問題も含めて、安全操業協定の見直し、船長と乗組員・船体の早期釈放、漁業資源管理の増強などについて、今後自民党として全力を挙げる考えでいることを申し上げ、石井政調会長に伝えることを約束しました。今後、地元の小池先生などを中心に解決を目指していきたいと思います。

根室管内ホルスタイン共進会

 さわやかな夏空の下、平成18年根室管内ホルスタイン共進会が開かれ、200頭を越す乳牛がその機能美を競いました。牛乳の減産に入った中で、個体販売価格の向上や、丈夫で長持ちする生産性の高い乳牛の改良を目指して常日頃の改良の成果を競う場です。きれいに毛刈りした、育成牛から長い間働いてきた成牛クラスまで、14部に分かれて審査がされ、この中から9月22日に開かれる全道共進会に54頭が代表として出場することになっています。
 今日はこの他、障害を持った家族の会と一緒の研修や、道議会北方領土特別委員会と地元関係者の本音での懇談会などがあり、それにも参加しましたが、それぞれ大きな問題ですので、後日改めてコメントすることにします。

あと一歩

 今日も、再試合の高校野球が気になってしまいました。早稲田の斉藤投手が、憎いほどコントロールが良く、最後まで乱れないのには、敵ながらあっぱれで、憎いほどでしたね。昨日と殆ど同じ展開で、少し違うのは、田中投手が疲れていて、フォアボールのあときっちり送られ、たまに甘い球が来るのを、早稲田は見逃さず得点につなげていった事ぐらいで、息詰まる戦いは同じでしたね。3点差のまま終わるかと思いましたが、最終回のツーランで、1点差に迫った時は、これまでの壮絶な逆転劇があるのではと期待したのですが、早実の斉藤投手もさすがに落ち着いていて、そのまま終わってしまいました。ああ!夏が終わったと言う感じがしました。素晴らしい試合を堪能させてくれた両校、特に何度も負けたと思える試合を勝ち抜いてきた我らが北海道駒大苫小牧高校に最大の賛辞を送りたいと思います。あきらめない、最後まで気を抜かないで頑張ることの大切さを教えて貰いました。連投となった、田中・斉藤両投手の肩が壊れていないことを祈ります。



我が家の花壇と、猫

色々ありました

今日は、悲しいこと、嬉しいこと、色々ありました。午前10時から昨日書いた徳田さんのお葬式に出て、焼香したあと、故郷武佐の敬老会に駆けつけ、元気な先輩の皆様方に御祝いを言って、今後も元気でいて下さいねと声をかけました。午後からはテレビに釘付けになり、駒大苫小牧を応援。15回の激闘に感激しながら、空港に、盛田さんのお悔やみに行って来た高橋知事を見送りに駆けつけ、領土返還運動などについて地元の方達の変化を話しました。その後友人のKさんのところでやっている、バーべキューパーティに行きました。そこには、小六礼次郎・倍賞千恵子さんご夫妻もおり、楽しく会話をしながら、北の勝の”一番搾り”(ただし去年の)やワインを飲み過ぎました。

徳田康二さん

中標津町議会を9期36年、議長も2期勤められた、徳田康二さんが、16日突然亡くなられたとのことで、今日1時間遅れの飛行機で帰ってすぐお悔やみに行って来ました。生前は、何かとお世話になり特別の恩返しもしないうちに、70歳という今ではまだ若い年齢で亡くなられたことに、寂しさと申し訳なさを感じます。通夜の席で導師の方が、以前からご夫婦で生前戒名を戴きたいと言うことだったので、お盆のお参りの時に届けようと持参したところ留守だったので、16日盂蘭盆会法要の終わったあとその戒名を渡して、意味も説明したばかりだったのに、その晩突然なくなったことを聞いて驚いたと話していましたが、何か自分の死期を悟ったような、不思議な因縁を感じました。ともあれ、中標津にとっては町発展の功労者であり、まだまだ惜しい人材を失ったと思います。戴いた恩返しは地域発展に尽くすことでお返ししたいと思いました。ご冥福をお祈り致します。