今ではこうした言い方も死語になりつつ有りますが、私の家も長く続く本家です。知っている限りでは、私の家は京都の公家さんの家来(名字はそれらしいのですが公家ではありません)で、京都が有力者の争いで戦乱となった時、公家達が山口に都落ちした時ついて行った末裔だそうです。その後防府市で大きな商店を営み、江戸時代は名字帯刀を許された名家だったと言うことです。祖父の代に商売がうまくいかなくなり北海道に渡ってきたのですが、その時は47軒を束ねる大本家だったと私の祖母が語って聞かしてくれていました。今は中標津での本家ですが、所謂分家も少なくなり、そうした血のつながりも誰かが死んだ時に会う程度になっています。今日は私の弟が家族をつれて帰省し、孫達(すベて女の子)も集まって賑やかな一日でした。