相次ぐ訃報

26日が大寒だから冷え込みもいちだんときつく、北陸や道央と違って雪こそ降らないものの毎日マイナス20度近くが続くのはつらいものです。その気候のせいでは無いでしょうが、毎日相次いで身近な人が亡くなった訃報が届きます。昔の青年部仲間、隣町の議長のお母さん、私が議員としてスタートしたときの事務所長さん、そして昨年暮れに亡くなった義理兄の長男と、毎日喪服を着ない日が無いほどです。季節の変わり目は体調を崩して亡くなる人が多くなるものですが、この様に厳しい冷え込みも体には応えるものです。皆さん体調管理には十分気をつけましょう。

道政報告会

昨年まで2年ほど新型コロナの影響で中断していた私の後援会主催の新春交礼会を、道政報告会という形で飲食なしで開きました。4町の町長さん達や遠く日高から藤沢道議、隣から桐木道議も駆けつけてくれ、200名を超す人たちが集まってくれました。私からは、引退表明したにも拘わらず再度出馬することになった経過と、今苦境に陥って居る酪農対策に道の理解を得て定例会ごとに適切な支援策を措置出来たこと、懸案の工事に目途がついてきたことなどを報告。これからの4年間は今回後継候補を擁立できなかったことを強く反省ししっかり後を育てていくことなどを述べました。単にこれまでの延長では無く、リセットしての4年間としたいと思います。

歴史に学び、未来を読む

内外情勢調査会の1月例会があり、歴史家・作家の加来耕三氏の講演を聴きました。先ずどうすれば歴史を今に生かせるか、からはいりましたが、歴史で伝えられていることの殆どは後に作家によって作られたものが多く、結果だけを追いかけては何も得られない。何故そうなるのか、そうならなかったらどうなっているのかなどについて立ち止まって判断すべきものである事。信長、秀吉、家康について比較された「鳴かぬなら・・・」の下りは信長と家康が反対である事、何故徳川の世が260年も続いたのか、その基礎はどこで作られたのかなどについて解説されました。その上で、リーダーに求められる能力として、「寛容」の中での「大局観」(先見性)が必要で、伝えられる人物像以上に他人は見ているからこそ人がついてくると言うこと。また、昨日と違う今日に気付けるか、数字に基づいた期待は信じられるが、数字を使った期待は間違える、とのこと。また、今年の干支「癸卯」の60年前は昭和38年で、誘拐事件や航空機事故、船の転覆事故炭鉱の爆発など暗いニュースが多かったこと、その60年前は日露戦争の前年、そのまた60年前は天保の改革、など大事件が多かったこと。また、日本は40年単位で浮沈してきたことから(詳細はまた)2025年は巡り合わせから行くと敗戦以上のダメージを受けるかも知れないとのこと。歴史を振り返って勉強すべきかも知れません。

デジタル国家構想

今日の特別委員会では、国のデジタル国家構想・地方創生良さについての説明がありました。これは、「各地域で行われてきた社会課題解決・魅力向上の取組をデジタルの力を活用して加速化・深化し、デジタル田園都市国家構想を実現するとともに、地方の創意工夫を活かした自主的な取組を政府一体となって支援する。」為のもので、全体で1,056億円令和4年度補正での848億を加えて1.904億円なのですが、夫々の内訳を見ると北海道内ではどのように使われているのか、また、例えば地方へのサテライトキャンパス設置等に関するマッチング支援事業では、全国予算でたった2千万円と一体何が出来るのかというような予算で、金額だけ説明されても前年度予算がどう使われていたのか、今年度はどこをどう使おうとしているのか解らないままです。委員会では予告なしで質問したので、詳しい説明は求めなかったのですが、今後担当に説明を求めなければならないことです。表題の言葉ばかりが新しそうに装われている感があります。

離農速度

地元の識者の言うことを聞いていると、離農が非常に激しく増えていて、このままでは地域が成り立たなくなるのではと心配する声が聞こえる。離農の理由は決して経営不振では無く、先行きの不安感から今がやめ時という判断のものが多いそうです。今日の農政委員会でその指摘をして、離農の現状を確認するように要求したところ、数値的には昨年まで、大体一年に160戸程度が休農・或いは離農しています。これは酪農バブルと言われた時期にもさして変わらない数で、理由は先に書いたようなことでしたいわゆる「定年離農」後継者がいなくて、ここまで夫婦で頑張ってきたけれどもう良いだろうという事での離農。しかし昨年(令和4年4月から11月)は既に156戸、このままだと今年度中に200戸を超えるかも知れないという勢い。丁度10年前には毎年200戸を超えていた事もあり、その後バター不足など逼迫状態があったため、国は「畜産クラスター」事業を投入し増産を図ったもの。しかし、長引くコロナで観光需要が落ち込み、更にロシアの侵攻で燃油、電気、飼料、肥料価格などが軒並み値上がりし、経営が危機的状態に陥っていることから、昨年は幾度も補正予算を組み夫々の支援を繰り広げたものの、それが安心感として十分行き渡っていないことも「この際離農」の元になっていると思われる。

パワハラ?

ある団体を訪問したときのこと、大学に求人に行くと週休二日になっているかどうかが条件のようになっているとか、給与より休暇を求めているとか、昭和の時代のおじさんには理解しがたい話ばかり。更に折角採用しても入ってすぐに辞めてしまう職員が多いこと、仕事が思うように出来ないからと言って叱ると「それはパワハラだ」とすぐ言われるなど、信じられない話ばかり。資源の無い日本では人材こそ貴重な資源なのに、まともに働くことさえ出来ない若者を誰が育てたのか?今入社してくる若者の親は、日本が絶好調のいわゆるバブル期に育った子ども達で、殆ど苦労を知らないはず。そしてその親に育てられた今入社してくる若者はいわゆる戦後の4代目。昔から、創業1代目は苦労して築き上げ、2代目はその苦労を見ているから未だ耐えられる。3代目は親の苦労を見ていないから全てに甘えて店を潰す、と言われてきましたが、果たしてこれからの日本はどうなるのか心配ばかりが増してきます。

成人の日

今日は国で定めた成人の日。連休を確保したくて第一月曜日に定めたことは気に食わないのですが、取り敢えず旗日なので国旗を玄関先に掲げて祝いました。歴史的には袴着の式とか、前髪を剃って月代にするなど、ほかから見ても成人と見えるようにし、大人としての自覚と責任を持たせる重要な式でした。今は着飾ることがその象徴とばかりに華やかに着飾った男女の集まりの様相となっています。勿論、大きな節目の式ですから、日本の盛装に身を包んでその式典に出席し、自覚を持つと言うことは大事かもしれません。多分、本当に大人で無ければならないと言うことは各種の学校を卒業して就職したときに痛切に感じることと思います。これからの日本は少ない若者が担っていかなければならない難しい時代になりますが、逃げないで立ち向かっていって欲しいと願っています。

消防団

今日の中標津消防団出初め式で新春の管内四町の一連の出初め式が終了しました。どの町(と言うより、全道の消防団)も殆ど悩みは同じで、少子化に加え若者の流出で団員の確保がままならず定員割れの団が殆どとなっています。少し大きな町では消防署員を確保し、延焼の危険性が無い限り団員に招集がかかることはないのですが、田舎ではそうは行かないもので、最も近くに居る団員が先ず駆けつけて初期消火を行う、若しくは消火準備を行っておくというのが基本です。また大災害の時の避難誘導は地元住民でもある消防団員が頼りです。何とか消防団の充実を図らなければなりません。

20歳の集い

昨年までは成人式と言われた20歳の集いが開かれました。令和4年4月から18歳で成人と言うことに変わったためこれまでの成人式がこの様な呼び方になり、開催する市町村に多少の混乱を与えています。本来なら、18歳つまり高校卒業時で成人になっているのでその時点で成人式を行えば良いのでしょうが、移行期の2歳分の扱いと、高校卒業時には大学進学や、就職などで忙しいことと多額の費用が重なるため、経済的に無理という判断もあるようです。集いで盛装した20歳の子ども?達はこれで区切りがついて大人として行動できるようになっていくだろうかとは思うが、一気にそうはならないことは自分の例を振り返っても解ることですね。

反応様々

今日は標津町消防団の出初め式と、中標津町の新年交礼会(2会場)でした。標津町の出初め式はいつも通常点検だけへの参列で、屋内での表彰式や挨拶には出席できずに中標津町の新年交礼会に駆けつけるというスケジュールで走ります。昨日の別海町や今日の標津町では引退会見を覆して次も出馬すると言うことには安心とか一番良い選択だったとかの言葉をいただきましたが、地元中の地元の中標津町ではそうで無い人もいて、「何やってるんだい!」と言う罵声を浴びせる人もいます(たった一名ですが)。日頃から私を評価していないひとなのでその言葉に不快感は感じますが、私の苦悩の決断を理解してもらえないことが悲しいとも思いました。決断した以上しっかりと次につなぐためにも頑張って見返してやりたいと強く思います。