遠く

道外調査を終えて長崎空港から帰ってきましたが、ホテルを9時半に出て空港着が10時半、11時10分に飛び立って羽田についたのが12時45分それから約1時間後の14時羽田発、15時30分千歳着、議会には16時30分着でした。移動に一日かかったことになります。やはり長崎は遠い。逆に考えると北海道は遠い、まして中標津などまだその先。国内の観光客誘致は外国から招く感覚で考えなくてはならないことを改めて感じました。

長崎県では

北方領土特別委員会2日目は、北海道に次いで署名数の多い長崎県の県民会議役員との懇談でした。昨日と同様県民会議副会長をしている長崎県地域婦人連絡協議会会長の西山氏で、説明の中で多くの署名が集まるのは老人クラブ連合会と、労働団体が大口で署名を集めてくれているせいとのことでしたが、すべての市町村でも地道に5~600人の署名を集めている活動をしていることによると思いました。北海道でも見習うことです。また、婦人団体の会員がかつては5~6万人もいたのが、今では7000人程度に減っていることや、長崎は被爆地で語り部の話を聞くことには慣れているが、遠く離れている地なので関心が必ずしも高いとは言えないとも話していました。

返還運動調査in佐賀

北方領土特別委員会の道外調査で佐賀県に来ました。佐賀県は初代の北海道開拓使長官となった鍋島直正と、そのもとで開拓使判官を務めた島義勇の出身地で、北海道とはつながりの深いところです。佐賀県議会では、北方領土返還要求佐賀県民会議の三苫副会長や、佐賀県北方領土教育研究会の石橋会長などが対応してくれました。活発に活動してきたものの、各団体の弱体化や、返還運動の意義の喪失感があって運動そのものの閉塞感があると感じているといわれました。教育分野ではやはり現地への派遣や元島民の話を聞くことが一番理解が進むとのことでした。鍋島直正公の肖像と北方4島を描いた図

道立漁業研修所

これまで訪れたいと思いながらなかなか機会のなかった北海道立漁業研修所を訪問しました。日曜日でしたが黒島所長、高橋副所長、金子総務研修課長が対応し詳しく説明の後中を案内していただきました。平成9年に函館、釧路、稚内にあった漁業講習所を統合してからちょうど20年間で826人の研修修了生を送り出しているということです。一級小型船舶操縦士、第2級海上特殊無線士、などのほか玉掛技能士、潜水士、など8種類の漁業者として必要な資格取得を目指しています。

今検討が進められている林業大学校の原型ともなるのではと思っています。

満席

仲間の道議の新春の集いに出席のため、11時55分の釧路行き特急に乗りましたが、指定席は満席となっており、自由席も札幌駅を出発時点で空席はわずかとなっていて、新札幌、南千歳と乗り込んできたお客さんの多くが帯広までたっているという状態に驚きました。これまでもこんなに乗っているのなら道内の鉄道の半分に及ぶ路線を「単独で維持困難な路線」として放棄するようなことにはならなかったろうにと思いました。時間帯が良いこともあるのでしょうが、これまで乗った限りでは自由席はいつもガラガラだったことを考えると、昨年代表質問でインバウンドが急速に増えている中で、努力不足ではないかと強く指摘して以来、流れが変わってきているのではと思わざるを得ません。

予算最終折衝

今日は自民党役員と財政の最高責任者である総務部長との予算最終折衝でした。国の補正も含めた15か月予算の配分が大きかったおかげで公共関連予算は前年対比大きな伸びを獲得できましたが、同単独の予算はほぼ前年並みとならざるを得ませんでした。そうした中で私学助成では耐震改修の道上乗せを実現し、その他の待遇改善や特別支援加算などについては今日示される国の交付基準次第ということで調整中となりましたが、昨年以上の確保はできそうです。このほか少子化対策や人材確保、人口減少対策など待ったなしの重要案件については来週知事に文書で要請することにしています。

ついにダウン

三日前から引いていた風邪ですが、朝38度1分の熱で、インフルエンザかもしれないと一日マンションで寝ることにしました。一昨日どうちゅの診療所での診断では普通の風邪とされてクシャミや咳止めと、頓服をもらっていたのでそれを服用しながらひたすら寝ました。夕方には熱も7度台前半に下がり、安静の効果が出てきたようです。鬼の霍乱でした。

日ロ議員交流

北海道と、自民党道連日ロ地域間協力推進本部共催で、ロシア連邦議員団の皆さんを迎えて意見交換会やレセプションを開きました。昨日からの雪の影響で会場到着が1時間遅れ、意見交換は30分に短縮せざるを得ませんでした。団長はロシア連邦院経済政策委員長のメーゼンツェフ氏(サハリン州行政府代表)、アキモフ連邦院議員(サハ共和国立法府代表)オゼロフ連邦院議員(ハバロフスク地方立法院代表)、ムハメトシンタタルスタン共和国国家評議会議長に四人が参加しての会合でした。私は残念ながら風邪のため意見交換会の司会を務めた後帰りましたが、これを機に相互理解が深まり、将来北方領土返還につながればと期待します。

連合会

武佐町内会連合会の総会が開かれました。その昔は300戸以上、つい10年前でも100戸あった戸数も今では60数戸の会員となっています。もちろん独居老人家庭や高齢者夫妻の家庭は会費免除にしているので戸数には数えていませんが。以前から比べると地域のつながりや交流が少なくなったのは確かですが、市街地の町内会に比べるとまだ同業ということもあり、加入率が60%などということはありませんが、学校の亡くなった今後は着実につながりが少なくなっていくことになるのではと心配しています。

代議士の力

伊東代議士の後援会行事の新春交礼会が開かれました。昨年4期目の当選を果たし、農林水産委員長を務めており、私たちにとってこの上ない力強い存在です。最初の選挙は自民党離れが極度に達したあの民主党への政権交代選挙でしたが、私たちがこの人しかいないと熱心に出馬を求めた方です。前々回選挙は苦戦をしましたが、わずかの差で勝利し、着実に評価を高めてきています。同期は小泉進次郎氏、今農水大臣の斎藤健氏、前復興副大臣の橘慶一郎氏と共にたったの4人で、それぞれ勝ち残るだけの器量を持った人たちです。今、民生の安定と新しい政策に向かう力を発揮し始めています。

今後の活躍に期待です。

京都から当選した元伊東氏の秘書、繁本氏も駆けつけました。