今日から新任期

 北海道議会議員は、昨日(29日)までが旧の任期(28期)で、今日から新しい29期が始まりました。
 東日本大震災被害からの復興という大きな国難を打開しながら北海道の自立へ向けた道を切り開くという、難しくやり甲斐のある4年の始まりです。
 北海道も道東も、農林水という一次産業を基盤にしながら、その進展と、新しい製造業の育成が基本です。
 他を当てにせず個々が自立しようとする力、次代を担う青年や、子供を育てること、安全に暮らせるための備えなど多くの課題に向かって新たなスタートをしていきます。
 多くの仲間や、地域の方々、道庁の職員の皆さんと共に、一歩一歩歩んでこれらのことを実現してゆきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

(アッ・安藤美姫が君が代を唱ってる)

教師力向上セミナー

 以前知り合った教員の方から案内があり、中標津町で開かれた「教師力向上セミナーin中標津」を傍聴させて戴きました
 。若い先生(とは言っても10年選手ですが)と、そのもう少し年上の先生が参加して、「全ての子供に確かな学力を」との目標のために教室に2割とも言われる「発達障害」を持つ子供への適切な対応を学ぶことによって、全体の力を引き出していくための授業のあり方を、それぞれが先生と生徒の役割を果たしながら、模擬授業という形でやりながら中堅教師の方がそれぞれコメントを加えたり、実際に同じ授業をやって見せたりしながら考えさせるという方法で進めていました。
 私も知っている或る学校の25人のクラスにも5人の発達障害のある子供がいると言うことで、その子も巻き込みながら全体のレベルを上げていくことがいかに大変かも知ることが出来ました。
 それにもまして、こうして常に子供達のためにお互いを高め合っていこうという先生がいる事に非常に心強いものを感じました。
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脱原発の矛盾

 東日本大震災で重大事態に陥っている福島第一原発は、依然として予断を許さない状態ですが、この機に乗じて脱原発・反原発の動きが活発になっています。ある意味当然かもしれませんが、話はそんなに単純ではないと思います。
 日本人は原子力には原爆のイメージが強く、決して良い印象はないのですが、危険と隣り合わせでありながら敢えてエネルギーとして利用しようとするのは、そのエネルギーの大きさにあります。
 石炭や、石油と言ったエネルギーは、二酸化炭素を排出し、大気汚染や地球温暖化のもとになると言われ、これに変わるエネルギー源として研究開発が進められたのが原子力による発電です。
 再生可能なエネルギーとしては風力や、太陽光発電もありますが、その安定性、効率の良さでは原子力発電にかないません。
 想定外という今回の震災・津波ですが、結果論で判断しては将来を誤ることになると思います。
 あまりにも大きな被害が広がっていますが、乗り越えなければならない山だと思うのです。
 エスカレーターや、自動ドアや、クーラー、オール電化から、馬車や薪ストーブの時代に戻れるのなら別です。
 パンドラの箱を開けたのかもしれませんが、99%の安全を99.9999%の安全へと高めることが人類のためと思います。

秋鮭豊漁に向けて

 かつて日本一を競った根室海峡の秋鮭が、近年だんだんと獲れなくなり、昨年は遂に一昨年の半分以下という状態になりました。
 何が原因か究明が急がれるところですが、広い海を相手にする秋鮭ですから、そう簡単にはいかないようです。
 今日は標津町にある「根室管内さけます増殖協会」を訪問し、今日が最後の勤務という三浦専務にいろいろとお話を伺いました。
 北部系の問題点は、標津川の鮭に親魚をたよりすぎている事、南部系の西別川の鮭の回帰率がかなり低い水準にあること等があり、またここの稚魚が放流した時点より河口でやせてきているという事については、かつてより稚魚を大きくして放流していることも途中の川での餌不足を生んでいるかもしれないなどが考えられると言うことでした。
 今後途中での生育調査をしたり、放流場所を変えるなどの試験もして結果を見たいとのことでした。
 4年経たなければ結果が出ないものですから、1年でも早く対策を打ちたいものです。

東京都夕張区?

 昨日の続きですが、夕張市長になった鈴木氏の公約が夕張市のメロンを首都圏などに売るほか、東京都から企業誘致を図って地域振興に努めるなどとなっており、石原都知事・猪瀬副知事まで応援にくる賑やかさでした。
 そんな様子を思い出してからの新市長誕生ですが、ふと思うのは、こんなに力を入れるのならいっそ東京都と夕張市が合併してはどうだろうかと言うことです。法律的には飛び地合併として可能ですし、その上で大きく膨らんで何も出来ない夕張市の負債を肩代わりし、その代わり夕張市は東京都のリゾートとでもしたら、高い買い物ではないように思いますが突飛な考えで、可能性はないでしょうか?、

統一地方選第2部

 統一地方選の後半戦、一般市の市長や町村長と市町村議会議員選挙が行われました。
 私の選挙区の3つの町でも議会議員選挙が、また羅臼・別海両町の町長選もありましたが、全て無競争で、19日に当選が決まりましたので、今夜は特に行くところもなく、各地の開票結果を見ていました。
 滝上では、農協青年部仲間の長屋さんが2度目の当選を大差で果たしました。
 注目の夕張市長選では、弱冠30才の鈴木氏が当選。また室蘭市でも33才の新市長が誕生しています。
 私から見ると末の子供のような年頃で、混乱した社会の中で人々は、新しい希望と行動力を求めたのかと思います。
 丁度私たちの学生時代頃反米闘争・沖縄返還闘争など学生が世の中を変えるのだという気がみなぎっていて、それまでの伝統や、古い慣習などを全て捨てて、新しい世の中を作るという意気込みに満ちていました。
 しかし,破壊してその後作り上げるはずだった社会は、日本の伝統的なものから離れ、自己中心的なものになってきたのではと思います。
 変革できるとすれば、彼らのようなうんと若い世代かもしれません。期待しましょう

エゾシカプロジェクト

 北海道のエゾシカは、今では50万頭にも増え、農業だけでなく様々な被害をもたらすようになり、昨年度には自衛隊の協力で駆除試験をしたり、補正予算で各自治体の実施する駆除費用の一部上乗せを実施するなどして、何とか最低限、維持に終わらせるための13万頭駆除に向かって努力しています。
 目標通りの駆除が達成できなかったのは、奨励金が少なかったことや、ハンターの高齢化や、減少、そして駆除後の利用が出来なかったことにあるとされています。
 各地で少しずつ利用に向けた試みが行われてきましたが、日本にはしか肉を食べるという文化があり、海外への輸出もルートを持たないため経済的に引き合わないのが現状です。
 今回、ニュージーランドで養鹿をし、東南アジアを中心に鹿の各部分を輸出してきた方が、北海道の新産業として育てるために汗をかきたいとして、私たちとミーティングを求めてきたので、今日出札して会合を持ちました。
 今後各地での取り組みと、今後の方向性について調査の上具体的に進めていって、エゾシカの管理と産業化を図っていくことにしたいと思っています。

統一地方選挙後半戦

 統一地方選後半戦の町村長選挙と、町村議会議員選挙の告示があり、根室管内では別海・羅臼両町長と別海・標津・羅臼3町の町議会議員選挙が告示となりましたが、いずれも無競争当選となりました。
 全道では、2つの町で定員に満たないほか、無競争当選が多く、時代の移り変わりを感じます。
 議員受難の時代と言って良いほど議員への風当たりが、マスコミを中心に厳しく、自分の仕事で精一杯なこともあって議員になろうという者が少なくなっていることもその一因と思いますし、個人主義が浸透し、みんなのために頑張るという気持ちが薄くなっている事も感じられます。
 全道の町長選を見ても40代や、50代でさえ珍しいほど候補が高齢年齢化してきているのも気にかかります。議員でも、仕事に余裕の出てくる年代でなければ新人として出てこられなくなっているとすれば、経験豊富だとしても、これからの時代に新しい希望を打ち出せるのかと、60を過ぎた私が言うのはおかしいでしょうか?
 兎も角、今回当選の町長や議員の皆さんと共に今後の地域のために連携して汗をかきたいと思います。

期待

 当選後、各地域で一緒に歩いてくれた方や、支援者と会って話をする機会が多くあります。
 選挙戦前と同様、地域を歩いて沢山の方達から話を聞くことで、現場の課題も解決策も知ることが出来ると思ってのことです。
 選挙後もまだ湯気のでるほど間もないこともあって、3期目への期待が本当に強く、地域の停滞感を打開して欲しいとの気持ちが伝わってきます。
 こうした期待感が、今回の選挙結果になったのだとあらためて思います。
 選挙は争うものではありますが、誰にこれからの一定期間その役割を任せるか、有権者が選択する機会でもあります。
 今回の結果はその意志の表れだと、また天の声のようなものだと改めてその責任感を感じています。

当選証書授与式

 道庁赤れんが庁舎会議室で、今回の知事・道議選挙の当選証書授与式がありました。
 私もお世話になった各団体への挨拶や、東日本大震災対応への地域からの意見を道庁へ伝える為に出向かなければならなかったので出席しました。
 式では、永井選挙管理委員長からのお祝いと訓示を兼ねた挨拶があり、その後高橋知事に当選証書が手渡され、知事からは引き続き北海道の発展を目指して任務を全うするとの決意の挨拶がありました。
 その後、出席した新道議に次々と当選証書が授与されました。
 このような授与式はこれまで無かったことですが、もと道議でもある永井委員長の配慮かと思います。
 改めて当選できたことと、これからの重い責任を実感した授与式でした。