海外調査に行って来ます。

 今日早朝出発して、10人の仲間と共に海外調査に行って来ます。
 今回はインド(ムンバイ・バンガロール)、シンガポール、中国(上海)を出入りを入れて9日間、駆け足の調査ですが、今後の北海道経済を活性化させるための切っ掛けを探ってきたいと思い参加することにしました。
 インドのバンガロールでは、経済発展が著しいムンバイで、行政府を訪問して高橋知事のメッセージを手渡し経済政策を伺うほか、ジェトロムンバイに日印貿易関係全般の説明を受け、夜には日系企業の方々と懇談会を持ちます。
 バンガロールでは、インドのシリコンバレーと言われるIT企業の集積の状況や、それを支える教育のあり方について学校訪問を通して学んできます。
 シンガポールではアジアの金融集積や、物流のハブ化を成し遂げている状況や、来年北海道で開かれるAPECの関連会合を視察するほか、北海道出身の高岡秀之調教師が在籍し、北海道産の馬が活躍するなど今後の北海道産駒に輸出が期待される競馬ナイトレースと、世界に誇る美しさと言われる競馬場施設を調査します。
 香港では、主に北海道の観光や特産物の売り込みを目的に、現地の大手スーパーチェーンや、観光会社関係を訪問して、北海道各地の物産や観光パンフレットを配ってコマーシャルをしてきたいと思っています。
 パンフレットやサンプルとして持っていく特産物で鞄はかなり重くなっていますが、今回の海外調査がそれ程重いものだと自覚しています。
 帰ってからの報告を楽しみにしていて下さい。
(今回はほとんど観光は入っていません)
(上記のようなことなので、この日誌は11月2日まで休止とします。)

商工会青年部

 根室管内商工会青年部連合会結成40周年行事があり、来賓として招かれました。
 昭和44年、中標津町にあった青年商工会を中心として、管内4商工会青年部の連合体として結成されたもので、今のメンバーの先々代が係わったことと思います。
 当時は個人商店がほとんどで、メンバーも多かったことと思いますが、中標津町に消費が集中し、大型店が消費の多くを占めるようになった現在商工業を取り巻く環境は非常に厳しい物があります。
 しかし青年たちは常に自分達の町の活性化を目指し、イベントや研修活動を通じて中心となって頑張っています。
 時代は大きく変わってきましたが、いつの時代でも未来を開くのは若者であり、今後の活躍を期待すると共に、今の110名の皆さんと共に地域の振興に努めなければと改めて思います。

標津川

 中標津町から根室海峡に流れ込んでいる標津川はこの地域の鮭マス孵化増殖事業の卵を捕る鮭を捕獲している最も重要な川です。
 しかし、最近この川の河口付近に上流から運ばれた砂が大量にたまり、鮭の遡上に障害となるほどになって来ました。
 原因は河口付近に作られた標津漁港と考えられていますが、それと共に上流の開発の進行もあって大雨の度に大量の土砂が運ばれてくるようになったことも考えられます。
 本来川は川岸を削りながら蛇行を繰り返し、その土砂を運び込んだ海の砂浜を造るもので、土砂の流出は今に始まったことではないのですが、上流の開発が自然以上の土砂を流すことになっているのではないかと思います。
 また、野付半島などはこの土砂によってつくられたと考えられますが、海に人口の工作物を作ったことでこの付近の海流が変わり標津漁港付近に砂が滞留し、野付半島はどんどんやせていくという予期しなかった状態となっています。これから、この川を浚渫して、鮭がカモメに背中をつつかれないようにしなければなりません。

冷害対策要請

 朝東京へ行き、午後から北海道の冷湿害に対して、資金量の確保や無利子化、湿害を踏まえての暗渠排水事業の拡大などを要請してきました。
 実務に当たっている佐々木隆博大臣政務官や、舟山大臣政務官などに、今年の被害の実情と、要望を伝え、合わせて先に21年度補正で執行停止になった「農地有効利用支援対策事業」の予定していた意味合いを説明し、非常に不本意であることを申し上げました。
 今の民主党政府のやっていることは、自民党がやってきたことの全否定で出発しており、破壊した後にどう組み立てるかの基本が確立されていないように感じます。
 あれほど天下り批判をして、日銀総裁候補を認めなかった鳩山民主党は、あっさりと日本郵政社長に元大蔵政務次官をあてるなど、矛盾だらけも甚だしいものです。
 先の補正予算の執行停止など、国会で議決していたものを、政権交代したと言って、自分達のマニフェスト実施のために、何ら国会で手続きを得ないままに取り上げるなど、彼らが言っていた議会無視の行為そのものではないのでしょうか。
 臨時国会での論戦と答弁が待たれます。
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伊東代議士に初要請です

冷湿害被害

 自民党議員会の「冷湿害対策本部」役員会を開き、収穫の進んでいる作物の被害額がほぼ集計出来たものの説明を受け。今後の対策を協議しました。
 それによると、被害額は全道で約600億円という大きなものになりました。特に面積の多い米や、収穫時期の雨や低温による被害の多かった小麦などでは金額も大きくなりました。
 支庁別では、空知・上川・十勝などが大きいところです。
 対策としては、
○低利融資(出来れば無利子)の貸し出し。

○既往公的資金の償還繰り延べ。
○飼料流通経費の一部助成。
○共済保険の早期支払いなどを打ち出しました。今後財政や、国の対応について働きかけをしなければなりません。明日早速国に、高原副知事や高橋農政副委員長とともに要請に行くことにしています。

乳牛改良

 根室管内乳牛改良協議会の懇談会があり、お招きを頂いて出席しました。
 日頃から、熱心に乳牛改良と、その成果を競うホルスタイン共進会(ショー)などに取り組んでいるメンバーが集まって今年の成果などを語り合っていました。
 乳牛改良は長い年月と、しっかりした改良目標や育成技術を持たなければ成果のでないものであり、全道共進会まで駒を進めて、優秀な成績を上げた方には、心から敬意を感じます。
 乳牛改良の中でも体系の改良と、乳量の改良は負の相関関係にあり難しいのですが、乳量を高レベルに保ちながらも、長命連産出来る体型にするという、欲張った改良努力が北海道全体の乳牛の底上げに貢献していることも評価しなければなりません。
 経費と手間がかかるからと、乳牛検定事業に参加する酪農家も減っていますが、ここで得られるデーターも、乳牛改良の重要な要素を占めていて、その成果が全ての酪農家に行き渡ることを考えるともっと国や道か、酪農家全体で支える必要があるのではないかと思いました。

自民党再生は

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午後から自民党道連支部長会議があり、出札しました。
 ほぼ全支部の支部長と、友好団体の方々が出席して、自民党再生プロジェクトチーム結成の承認と、先の総選挙の総括などをしました。
 会場からは、今後のあり方や、選挙区支部長の今後や、来年の参議院選挙候補選考の方法などについて意見が出ていましたが、ある現職の議員が、道連会長を差し置いてしゃべりまくっているのには、あきれるばかりでした。
 自民党大敗の原因が何処にあったのか、理由があったにせよ、今の格差社会を作ってきた幹部として何の思いもないかのような発言を続けているようでは、自民党の再生など当分無理とすこし暗い気持ちになってしまいました。
 今更ながらに、どんな議員がこの国を動かしていたのか、何を間違えたのか、自分の議員活動にも大いに教訓としなければならないと教えられました

惜しまれながら

 故中川昭一氏を偲ぶ会が開かれ、本当に多くの方がお悔やみと献花に訪れていました。
生前活躍していた頃は、本当にとりつきにくい方だと思っていましたが、水についてのあらゆることをライフワーク研究していて、世界の将来について長期的な視点で考えていた人でもありました。
外国との交渉ごとでは、テーブルをひっくり返さんばかりの剣幕で、とかく交渉の弱い日本の政治家の中では、特異な存在でもありました。
そのお陰で今日まで、WTOなどから日本の農業を守ってくれもしました。
偉大だった父中川一郎氏の後継として国会議員となって、常に比較されながらの議員活動の中で、大きなプレッシャーを受けて、酒に頼ったのでしょうか。多分神経細やかだったのでしょう。惜しまれながらのご逝去となりました。
再生を期す<自民党にとっても大きな痛手です。
今はただご冥福をお祈りするばかりです。
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いよいよ

 今朝は、2度目の軽い霜でした。
 登熟が遅れていた飼料用トウモロコシが、この遅れた霜のおかげでかなり実が入ってきました。
 丈の長さは相変わらずで、収量は多くを望めませんが、全くの未熟コーンと覚悟していた酪農家には多少の救いとなります。
 私達の入っている利用組合では昨日から収穫作業を始めました。
 昨年の6割くらいの収量ではないかと思いますが、詰め込んでみないと解りません。
 今夜は既に4度になっていて、朝まで晴れているようなので、明日の朝はがっちりと霜が来ることでしょう。
 少しでも長くとの願いを聞いてくれた天に感謝しながら、事故の無いように収穫作業がはかどることを祈っています。

コケイン症候群

 今日の夕方、あるテレビの報道特集で、中標津町にいる「コケイン症候群」患者の子供のことが放送されていました。
 8月の末ユニセフの大会が中標津文化会館で開かれた時、署名活動をしているのに出会い、その病気を知ることが出来ました。
 染色体異常による進行性の「早老病」の一種で、体のあちこちの機能が老化したようにだんだんと働かなくなっていき、若くして亡くなるという難病と言うことでした。
 しかし未だに難病として認定されて居らずその認定を求めての署名でした。
 9月始め早速道の保健福祉部にその認定について訪ねたところ、「団体から国に要望して貰うしかないですよ」という素っ気ない返事でした。
 道内に苦しむ患者がいるのに、そんな返事はないだろうと思いましたが、次の定例会に向けて「請願」を出し、保健福祉委員会で検討の上、国に意見書を出して貰うべく準備しようとしていた矢先のテレビ報道でしたので、これを追い風に是非実現したいと思います。