万一の備え

 中標津消防団の総合訓練が8月最終日曜日の今日行われました。
 今年のテーマは、地震などで、水道施設が被害に遭い消火栓が使えなくなった時の対応で、川のそばに小型ポンプを持ち込みそこからポンプ車に中継して火災現場に放水するという想定でした。
 一斉放水だったのと、川からくみ上げる際の基本的な事項の確認が出来ていない分団があったのか、若干時間かかったとは思いますが訓練でこうしたことを確認しておくことによって災害の時にいち早く対応できます。
 各消防団では、毎月一度、こうしたテーマを設定して訓練に励んで、万一の備えをしています。
DSC00671.JPG DSC00672.JPG

「貧乏」という名の教師

 春に行われた全国学力テストの結果が発表され、今年も北海道が全国最底辺ということで、その原因などについて新聞紙上で各論が展開されています。何故なのかは専門家の分析に任せるとして、それを他人のせいにしようと言うことには大いに疑問を感じますし、こんなテストは毎年する必要はないという社説には「それで受験競争に勝って自分の行きたい大学に行かせられますか?」といいたくなります。
 北海道は長引く景気低迷にもかかわらず、恵まれた資源を生かし切ることが出来ません。「昔は良かった、貧しくても夢があった」と言う方がいますが、その貧しさがハングリー精神を生み、勉強してこの中からはい上がろうと懸命に勉強もしました。
 そうしたものが、国からの補助に慣れきった大人にも、豊かになった家庭に育った子供にも欠け落ちているのではないかと思えてしまいます。
 何よりも北海道人はよく言えば「おおらか」悪く言えば「のんびり」しているので、なかなかハングリーにはなりません。
 もう一度「貧乏という名の教師」に教わるつもりで子供をハングリーにしませんか。ついでに私達も。

大雨の影響

 盛岡での議員研究大会を終えて、午前の便で千歳に帰り、間に合うからと”旅費規程”通り特急おおぞらに乗り釧路へ着きました。
 この後網走行きの普通列車で標茶駅に行き、そこからバスに乗って中標津まで帰る予定でしたが、この列車(一両ですが)が40分遅れで出発の予定という車内放送に驚いて標茶でのバスの出発時間を確かめると間に合わないことが解りました。
 このまま遅れて標茶に行ってもそこからの足がありません。迎えを頼むには、牛舎に行っていて連絡が付かず、やむを得ずレンタカーを借りて帰る羽目になりました。
 交通の不便なところと言うのはこういうものです。順調にいけばよいのですが、一つ躓くと次の交通機関はなくなり、自分で動くしかなくなります。これから冬になり、欠航の多い丘珠便しか無くなった私達にとって、気の重いシーズンとなります。

東北北海道議員研究交流会

 北海道と、東北6県の県議会議員が一堂に会してそれぞれの課題を発表し合い、研究する大会が開かれていますが、今回は岩手県の盛岡市で開催されました。

 第1分科会は、「食の安全・安心について」第2分科会は「地域コミュニティの再生について」第3分科会が「観光の振興について」のテーマで行われ、私は第3分科会の発表者として参加しました。観光については、北海道は来訪客数も他県に比べれば多いのですが、滞在時間や、伸び悩みなどの問題もあります。歴史と伝統芸能などの多い東北6県にはもっと多くの観光客が押し寄せているかと思いましたが、各県ともそれを伸ばしきれずにいることが解り、航空便の問題や、共同での海外へのアピールなど、今後共通して取り組む課題として研究していくことになりました。
 この分科会に先立って、慶応大学教授の片山善博氏の講演がありました。
 地方分権や、議会の合意形成のあり方、執行機関の統制、税負担などについて持論を展開していましたが、議会の権能として、反省すべき事が多く、参考になりました。
 この春、北海道議会を学芸会と酷評した、議会の中での合意形成については、私達なりの言い分がありましたが、時間がなかったこともあって、意見を言うのを控えました。今後の議会活動に活かせるようにしたいと思います。
DSC00662.JPG DSC00667.JPG
講演する片山氏                 布川氏と私

日台交流

 午後から中川昭一氏の政経セミナーに参加。「時代を読み、将来の日本を考える」との題で、今後の日本のとるべき道の話をされました。洞爺湖サミットは、報道では評価が低いが、今後の温暖化防止への道筋や、新たな水・環境問題解決へのスタートを切ったことは、高く評価して良いとの見解を示しました。来年国連での「水総会」が開かれることになったことや、北極海の氷融解による「北極海航路」が、温暖化の進行で可能性が広がり、日本にとっても物資輸送にとってもプラス面が出てくることなど、の話をされました。また7月の中央公論誌に発表した、13の政策提言について、もっとわかりやすくと、漫画本にして配布されました。日本をもっと元気にするために、政策集団で、様々な検討を重ねていることは、見習うべきと思います。
その後、自民党道連と、「台湾立法院国民党政策会」との交流会があり、参加をしました。国民党は今回の総選挙で、113議席中82議席を占めて、中国との関係改善を目指していますが、今回訪れたメンバーは執行委員長の林氏や、4名の副執行長など12名で構成されていますが、そのうち7名が女性と言うことも驚きでした。話は台湾と北海道の主として観光面での交流促進でしたが、それを起点に様々な交流が出来ればと思います。
特に北海道は食べ物が美味しいとの評価で、その輸出にも期待が膨らみます。
日台交流.jpg

みんなで記念撮影しました

研修会

 毎年一度開いている、JA中春別の酪農対策協議会と北海道農政部との研修と意見交換会が開かれ、私も同席しました。
 昨日は夜遅くまで、町議に当選した仲間の議員さんの事務所を廻って御祝いを言って歩きましたが、どなたもまずはほっとした様子で、定数減(6減)の中誰が落ちてもおかしくない選挙を勝ち抜いた事を喜んでいました。
 今日の朝の便で札幌に出て、午後からの懇談に望みました。懇談の中では、厳しい酪農情勢の中、自給飼料確保のための草地更新についての支援や、WTOなど農業交渉について、消費者理解の醸成、担い手の確保、配合飼料価格安定、労働過重問題、などについて、1時間半の時間で足りないくらいの話が出ました。
これから、この危機を乗り切っていくための方策と努力について知恵を出さなければならないと思っています。

新町長誕生

 中標津町の町長・町議選挙があり、今日投・開票の結果、新しい町長に小林実氏が相手候補に4倍の差を付けて決まりました。病気治療のため2期目に出馬を断念した西澤氏に対抗して、早くから名乗りを上げて運動していた吉田氏に対し、町民の多くの願いを受けて決断した小林氏は、知名度の低さと出遅れを挽回すべく精力的に運動を繰り広げ、病院事務長や、総務部長を経験して行政を熟知していることや、人柄の良さで、圧倒的な大差で選出されたものです。私にとっても行政のパートナーとして大事な人なので、町民がどのような選択をするのか心配していましたが、良識のある判断をしてくれたと安心しました。同時に選ばれた町議会議員も、5人の新人がいずれも上位を占めて、議会に対する町民の期待が大きいことも示されました。また、2名の女性議員が当選を果たしたことも中標津に新しい時代が到来することを期待させてくれます。
DSC00654.JPG

新町長の小林氏

全道農業危機突破大会

 ここのところ、石油を始め飼料用穀物や生産資材などが、値上がりを続けており、一方で、農業者が生産する農産物価格は、輸入品や市場取引の価格制度上そのコスト高を反映せず経営が非常に厳しくなっています。
 このままでは国民の食糧供給にも責任が持てないと、今日その対策や、価格反映を求めて札幌市中島公園で、全道から5000人の農民が集まって危機突破大会を開きました。
 このような危機は、昭和48年から49年にかけての第一次石油ショック以来といわれています。当時はまだこれから経済成長するという段階だったこともあって、物価や給与を上げて対処できましたが、今回は伸びきった経済の中でコスト削減を強く求められているので、それも出来ず、一層問題を深刻にしています。
 規模が大きかったこともあって、道内選出の国会議員が殆ど顔を揃え、お互いにパフォーマンス合戦をしていました。北海道からも明確な支援対策を提案できるよう協議を進めなければならないと思っています。
 デモ行進はなんと言っても5000人ですからそれはそれは規模の大きな長い列になりました。
 サミットの時北方領土返還要求デモがこのような規模で出来たらどんなにかインパクトを与えられたかと残念に思います。
DSC00644.JPG
DSC00646.JPG

地域コミュニティ

 私の地元の地域で盆踊りがありました。地域で「牛陣太鼓」を守っているメンバーを中心に実行委員会を構成して、地域ぐるみで再開後23年続いている事で、中標津などから多くの人達が参加したり、見に来たりするようになりました。
 今年も、仮装には地元始め大人の団体7組、個人が6人、そしてなんと子供の仮装が18組という多さで、踊りの輪が一回りで収まらないほどでした。
 地域の核がしっかりしていて、それに協力する人達が集まれば、このように中標津の市街地を越えるほどの行事も出来るという例だと、誇らしく思います。
 最後は、みんなで2000円ずつ出し合って上げる本格的な花火で締めくくります。
 街の大きなものには比ぶべくもないのですが、空に大輪の花を自分達の手であげているという感激は大きなものがあります。
DSC00641.JPG
DSC00642.JPG

こんなに賑やかです        優勝した地元の「カール おらが村」チーム

盂蘭盆会と宗教

 戦後日本では、既存の宗教や、伝統などが軽んじられるようになって、日本人の心は何処に行ったかというような状態になっているように思います。
 遙か遠い時代に、人の英知を積み重ねて生まれた宗教は、不可思議な人の生死や、自然のなりわいを説明しようとしてきました。
 人とはどうあるべきか、生と死の間にあるものは何かなどを、多くの宗教家が引き継ぎながら求め続けた集大成が、宗教であると言えます。
 しかし、科学の発展につれて、それらの不思議な現象が科学的に説明されるようになったことと、終戦ショックで、心の拠り所を無くしたことが、今のような精神的に不安定な状況を生んでいると思います。
 信教の自由を守りながら、もう一度宗教から学ばなければならないことが多いのではないでしょうか。