ジュネーブで開かれていたWTO交渉は、結局最終調整ができずに決裂しました。ここでも環境問題同様自国の利益を最優先とするアメリカと、インド中国など開発途上国との利害がぶつかったのが最大の理由でした。
日本は特に農業分野で追い込まれ、主張が通らないのなら決裂させてくるべきと言う、私達農業側の希望通りになりましたが、一方経済界からは輸出拡大のチャンスを逃したとの声も聞かれます。
国によってその置かれている様々な環境が違う中、自由貿易の名の下に殆どのものを国内と同様自由に流通させようと言う事は、かなり無理があると思いますし、そのことによって(自由貿易)弱肉強食が一層進むのではないかと思います。
国境も民族対立もないのであれば自由もあり得るのでしょうが、現実はそうはなっていないのですから、お互いの利益を守ろうとするのは当然ではないかと思います。
日本の農業に、規模拡大や、合理化によって外国、それもそれぞれの産物で最も安いところと競争できるように求めること自体無理があります。もしそうするのであれば、また戦争でも起こして、広い土地と安い労働力を獲得するしかなくなります。
みんな豊かになった国では、それなりの価格を認め合うことが必要で、それが農業の自立に繋がるのではないでしょうか。
月: 2008年7月
収穫作業
2日程、留守番のため活動が無く日誌を休みましたが、事務所を訪れる方が何人か予定が入ってその都度出て行きながら、朝晩は牛舎の手伝いでした。
普段も時間のある時は牛舎に入っているので要領は解っていますが、搾乳だけはしっかり確認しなければ大変なことになります。
酪農の良さは、休みがない代わりに、毎日収穫作業をしている、それも現金収入という計算の出来るものがある事です。これをしっかり管理できるかが年末に大きな差になって現れます。
勿論、今のように諸資材価格が激しく上がっているような時は、そちらの監視や、収入に反映するものを確保しなければ無理で、経営管理は重要な位地を占めます。
今日は、収穫作業の中で、育成牛に食べさせる乾草の収穫作業を手伝いました。晴天を見越して刈ったものの、なかなか晴れずにやきもきしながら反転を繰り返していたものが漸くロールできる程に乾いての収穫です。朝から食事もとらずに走り回った結果、何とか夕方までには収納できました。これで、育成牛には少しですが、美味しい草を食べさせられます。
努力の積み重ね
中標津町商工会青年部が、毎年開陽台デコの時期に開いている「シーニックカフェ」が今年もオープンしました。これは、摩周から知床に続く道を「シーニックバイウェイ」として認定させようと、数年前から開いてきたもので、認定されてからも引き続いて開いているものです。シーニックバイウェイとは寄り道の出来る道と言うことで、全国各地で指定が進んでおり、観光ルートとしても全国に紹介されます。今日は天気も良かったので、来客が多く用意した食べ物は午後には底を突く状態でした。私達も、広い開陽台牧場を眺めながら、満ち足りた時間を過ごしました。
開陽台牧場休憩所に開いたシーニックカフェと、好天の中ゆったり過ごす人達
そば文化
中標津町に、手打ちそばの愛好者を育てる「ささ藪学校」というそば道場があり、今回そのメンバーと支援する人達で後援会が発足し発会式兼懇親会が開かれました。
今、そば打ちは各地で静かなブームとなっていますが、中標津町でも私の幼なじみで、今町の特別職になっている人が、凝り性の本領を発揮して段位を獲得し、仲間を増やしてきた結果根室管内に何十人ものそば打ちメンバーが育ってきました。
今回地方では初めて昇段試験を中標津町で開き、2段位や、初段位を獲得する人達が多数でました。こうした普及の努力や、技術が認められて「そば打ちマイスター」の称号を与えられた事も報告されました。練る際に水の代わりに牛乳を使ってよりなめらかさと風味を出した「夢見そば」を開発したり、地元産そば粉を使うため農家に依頼してそばの作付けをしたりして、今では80ヘクタールにも作付けを増やし、来年は100ヘクタールを超える見込みとなるなど、地域に「そば文化」と農業の新しい分野を開いた功績は大きいと思っています。
今日はそば打ちの実演と試食もあって、集まったメンバーは舌鼓を打ちながら楽しく夢を語り合いました。
記念撮影と、大会で最優秀をとったメンバーのそば打ち実演
地域名産
朝の1便であわただしく帰り、午後から別海町で開かれた、「別海ジャンボ牛乳&ジャンボホタテバーガー」の発表会に参加しました。地域興しに地域の名物を作ろうと、別海町の若い人達が集まって、月刊誌「じゃらん」編集長のヒロ中田氏をアドバイザーとして作り出したのが表題のものです。
中田氏は、全道でその地域で獲れるものを主原料にして「ご当地グルメ」を開発して、それを繋いで地産地消による北海道の食文化を広めて行こうとしています。2年前には牛乳の消費拡大もかねて「白いプリン」を提唱し、全道で多くの菓子製造メーカーが参加しました。今回の別海はこのシリーズの15番目だそうですが、アイデアが出てから今日までたった3ヶ月で完成させたのは、青年のやる気と飲食店組合メンバーの食堂の積極的な協力があってのことと敬意を表します。
今後は地元を中心にこのジャンボバーガーを育てて、他から来た人に自慢して欲しいと思います。
ジャンボグルメ参加調印式
青少年健全育成
かでる27を会場に、平成20年度「青少年の非行防止」道民総ぐるみ大会が開かれました。大会の中では、道民総ぐるみで、
地域ぐるみで健全な社会環境作りを推進する
犯罪や非行、いじめのない明るい社会づくりを推進
青少年の積極的な自立と社会参加活動を推進
「道民家庭の日」の普及運動を推進する
という大会宣言をした後、記念講演として、愛知県岡崎市の浄土宗西居院住職の「廣中邦充氏」から、『For You〜青少年の居場所づくりのために』と題して講演がありました。
この方は、現在非行少年や、引きこもりの子供達を自宅に預かり、子供達を社会に復帰させる活動を続けておりこれまでに500人以上の子供達を卒業させ、今でも15人の子供を預かっていると言うことです。これらの子供達には様々な事情がありますが、一番大きいのは、家庭がその態をなしていないと言うことだそうです。夫婦のつながりや、子供の希望、家庭の暖かみなどがかけていることが多いと言います。子供達が非行に走る時も必ずサインを出すが、その時適切に対応しないことで、次の非行に繋がっていく。子供をよく見ていないことで、そのサインを見逃すと言うことです。また、子供は、家庭だけでなく、地域みんなで育てることも大事で、その環境作りも大事と言うことでした。頭で解っていても、行動しないのが一番悪いと言うことで、自分でもどれだけ出来るかなと考えました。
廣中氏の講演の様子
戦没者追悼式
先の大戦で犠牲となった方々の北海道戦没者追悼式が豊平区にある道立体育館(きたえーる)で開かれました。全道各地の遺族代表や、遺族会の皆さん、そして私達議員や自治体関係者など、およそ500人が参加しました。8月のお盆前後には各自治体でもそれぞれ開かれますが、戦後生まれの我々の世代を筆頭に、戦争で犠牲になると言うことの悲惨さ意識が薄れているのも確かです。
「紛争の解決手段としての戦争を永久に放棄する」という世界に誇る日本国憲法は、国を疲弊させ、多くの犠牲者を出したこの第二次大戦の反省の上に成り立っています。
この人達の犠牲があって今の繁栄も平和もあると言うことを今一度考える機会でなければならないと思いながら参列していました。
根室管内開発期成会
どの管内にもありますが、各支庁の自治体や、議会、経済団体などで構成されている「開発期成会」というのがあってちょうど今時期、国や道に対して、施策や予算の要望が行われます。
今日は私の地元根室管内の皆さんが道庁や議会を訪れて来年に向かっての様々な要望をしました。
特に、地域にとっての重要な産業である農業や、漁業の燃油等資材価格高騰による経営対策の充実や、高速交通ネットワークの整備、北方領土問題解決に向けた取り組みの充実、地域医療の確保などについて強調されました。
本当は、こうした要望のために議会まで来て頂くことは、私達の職務怠慢なのかも知れないと思うのですが、やはり自らが出向いて要望しなければなかなか意図が伝わらないと言うこともあるのかも知れません。
全力を挙げて対処したいと思います。
花が咲きそろいました
夏の短い根室地方にもいよいよ夏本番が近づいてきました。我が家の庭の花壇も女房がくたくたになりながら整備してきて、漸く花が咲きそろってきました。毎年、今年はどのようにしようかと考えながら、種まきから始めて何度もの移植を繰り返し苗を育てるという作業を続けての結果です。
これからは雑草との戦いとなります。まだまだ住宅周辺の整理もしなければ本当の意味での美しい景観とはなりませんが、お金をかけないできれいにしていくというヨーロッパスタイルに少しでも近づきたいものです。
一度見に来て下さい (^^)/
生死を越えて
私達の地域の最高齢者だったおばあちゃんが101歳で亡くなりました。通夜の席でこのおばあちゃんと懇意にしていた導師が、今から10年前(90歳の時ですね)貰った手紙を読んで聞かせてくれました。
大正12年に北海道へ来たきっかけの話の後、この時姉がくれた一冊のノートに「俺が俺がの我ではなく、おかげおかげのげで暮らせ」と書いてあって、これを守って一生を過ごしてきたことや、90になって生死を越えた気がしてとても1日1日が明るく楽になったと書いてあって、仏道を歩む私もなかなかその境地になれない事が出来たこのおばあちゃんに教えられたと話していました。
いつ果てるか解らない人の命ですが、朝起きて今日もまだ生きていて、儲かったと感じられる幸せを噛みしめられたらと思いました。