自民党政策調査会が、年に一度、道内の各団体を議会に招いて要望という形でご意見を伺う「団体政策懇談会」を開きました。朝10時、農協中央会を始めにして22団体約7時間の懇談でした。1団体15分から20分の非常に短い時間ですので失礼だとも思いますが、限られた時間の中で全ての団体から課題を伺うにはやむを得ないと思っています。
栄養士会は、各施設や市町村への管理栄養士や栄養士の配置をして、栄養面からの健康管理を提案されましたし、土地改良連からは、パワーアップ事業や農地・水・環境対策事業への満度の予算措置を求められました。この他道路整備の促進や、新幹線の早期札幌延伸なども求められました。林業団体は伐採跡地の植林促進、造園士会は道路工事などへの造園士の配置を要望されました。この要望は、3年続けてですが実現していないとの指摘もありました。予算との見合いでなかなか実現できないことが多く、じれったい思いもする懇談会でした。明日も同様の懇談会がありますが、私は地元の行事があって帰らなければなりません。
月: 2007年10月
若くして
49歳の若さでなくなった、武部勤衆議院議員の第1秘書・棚川史彦氏を偲ぶ会が北見市で開かれ、参加してきました。9月23日に癌のため亡くなったのですが、東京で葬儀が営まれたため、出席できませんでした。
今回北見でこの集いが開かれたため、感謝とお別れの献花をすることが出来ました。
秘書だったとき、そのてきぱきとした仕事ぶりと、決して偉ぶらない人柄にほれぼれとしましたが、この世は無常という言葉通りこの若さで道半ばの人生に分かれることになってしまいました。
今選考に入っている根釧の第7選挙区の次の候補に内定したときもあったのですが、体調不良で断念しました。惜しまれる人は早く逝くとの言葉通りで残念ですが、思いを引き継げる人を早く決めて彼を安心させなければと思います。
新しい総合計画
平成20年から、第3次総合計画に続く新しい総合計画の策定作業が続けられています。まだ案を練っているところですが、自民党の政務調査会総合計画検討部会でこれまで案について検討を続けてきた結果を企画振興部で取り入れた、「諮問に向けた検討案」について協議する役員会が開かれました。
北海道の現状を充分踏まえた上で、
第一章に北海道の将来展望
第二章に目指す姿
第3章に政策展開の基本方向
第4章に地域作りの基本方向
加えて北海道未来づくり戦略編を加えた、今後の振興策を各分野別に、8つの柱(食・コミュニティ・自然環境・エネルギー・子ども・高齢者・ものづくり・観光)に分けてそれぞれの分野の政策展開の基本方向を立てていっているものです。
今日もその案に対して様々な意見が出されましたが、今回の総合計画の最大の特徴は、「理念計画」として、目標数字など入れていないことです。
100年の大計とはいきませんが、ともかく今の厳しい状況を乗り越えた上で、10年20年後に希望を持てる施策としていくことを目指しています。
北海道
私の先祖は、山口県から昭和3年(1928年)に現在の中標津町に移住してきたと聞いています。来年は、ちょうど入植80周年にあたります。当時は、第一次大戦後の不況があって、山口県でやっていた金物店が倒産し、新天地を求めて北海道に渡ってきたそうです。そのまた遙か先祖は、京都から落ちのびた公家の家来だったとか、二度目の落ちのびでしょうか。
それはともかくとして、当時の北海道は新天地としての魅力に溢れていたのではないでしょうか。勿論、その自然の厳しさは隠された上での、乏しい情報の中でしたが。内地(本州)では考えられない五町歩という広大な(今ではその10倍でも足りないのですが)土地を与えるという説明に、夢を描いたのでしょう。それでも、何の機械もない中で、一本一本の木を切り、その根を掘り起こして畑を作り、馬鈴薯や、豆やそばを作って家族を養いながら、細々とでもそれを売って厳しい冬も乗り越えてきた人間の強さに思いを至らせられます。
原野から平野へと変わったこの大地を見ながら今の北海道の苦しい状況を考えるとき、もう一度開拓の頃の人のたくましさを見習わなければならないと思うのです。
結果的に
国際貢献を問われている新テロ特措法の審議を前に、防衛省の守屋前事務次官の疑惑が次々と明らかにされ、委員会審議どころではない様相になってきました。
「政治」を「政局」に持ち込もうという小沢党首の攻勢にえぐり出されたものかも知れませんが、身から出たサビというものでしょう。
この前事務次官は、当時の小池防衛大臣と、人事で対立し、喧嘩両成敗的に退任した方です。小池大臣はこの次官を退任させ、代わりに警察庁出身の西川氏をあてようとして、守屋氏と対立し、結局守屋氏の推す大臣官房長の増田氏に決めた上、小池・守屋両氏が退任したものです。増田氏を強く推して抵抗したのは、長年続いてきた、防衛庁内部からの次官就任に対し、外部の警察庁出身の西川氏に拒否反応があったものでしょうが、今日このようなことが明らかになってみると、小池大臣の「守屋氏を更迭すること」「次の次官は外部からの人材を当てる」という判断は「業者との癒着をさせない」、「省内のマンネリ構造を防ぐ」などの意味から正しかったと言えるのではないかと思います。
時の判断の重みを実感する例ではないでしょうか。
おかしくはないですか?
最近は、原油の値上がりやその逼迫感からバイオエタノール原料を作るためにトウモロコシなど穀物が使われて日本に輸入される小麦や、飼料用トウモロコシの値上がり、中国等の経済成長による、船積み運賃の値上がりなどがあって、原料価格が値上がりしたとのことで、パンなど製品の小売価格が引き上げられました。また、森永乳業なども、外国から輸入される原料チーズが値上がりしたとのことでプロセスチーズの販売価格を値上げしたとのニュースも伝えられています。一方、今年産の米の価格は、燃料・生産資材・肥料など生産費の値上がりにもかかわらず、過剰作付けもあって値下がりしたほか、飲用乳価も牛乳が不足気味にもかかわらず据え置き決定するなど、全く逆の動きとなっています。NHKでも日本の食料・農業について特集していましたから関心を持った人も多いかと思いますが、一体食糧の自給をどう考えているのか疑います。
生産費があがっても値段に反映できない私達の農産物。輸入原料があがったからと言って値上げできる製品。ヨーロッパでは最大50%も乳製品が引き上げられたというのにです。
おかしくはないですか?日本の農民はどうやって生きていけばいいのですか。
地域安全キャンペーン
全国的に行われていた防犯週間の最終日、中標津町でも地域安全キャンペーンが開かれました。生憎の雨天でしたので、町内の大型ショッピングセンターの中でのキャンペーンとなりました。中標津町では、昨年から青パト隊が町内会を巡回するなど、日頃から地域の安全に熱心に取り組む人達がおり、大きな事件の発生を防いできました。今日もそうした人達が集合し、ちびっ子警察官の誓いの言葉や、ショッピングセンターを訪れた人達への啓発ちらし配り、青パト隊の出発式などを行い、今後の地域の安全を誓っていました。こうした人達だけでなく、住民みんながお互いに関心を持って声を掛け合うことが、事件を未然に防ぐことになると思いました。
集合した地域安全協力員の皆さん ちびっ子警察官と記念撮影
秋味と北方領土
今年の、秋鮭漁は、昨年まで獲れなかった南部群が良く、価格も昨年以上になっていて、今年は一息付けそうです。昨年は、10月7〜9日に吹き荒れた爆弾低気圧による高波で定置網がやられ、漸く捕れ始めた鮭を捕れなかった苦い思い出と、その時借りた借金が残っています。今年くらいは良い思いをしなきゃね。
午後からは、標津町に行ったついでに、北方領土館に立ち寄ってみました。閑散としていて私一人でしたが、だんだん団体が減り、個人客も少なくなっているそうです。その関心の低さがそのまま国民の北方領土に対する関心の表れではと思います。
国土に関することなので、国が何らかの意識向上策をとるべきと思いますが、さてどんな智恵が浮かんでくるのでしょうか。
紅葉の季節
今年は紅葉が遅れていましたが、先日来の気温の急な低下で、一気に紅葉が進んできました。楢の木の葉が黄や赤に染まってきて、道の両側にきれいな壁を作っていますし、町の桜並木は、春のさくら以来の赤い色で彩られています。冬に突入する前の一瞬、木々は輝いて寒い冬に向かっているかのようです。
経営安定対策
日本農業にも貿易自由化の波が押し寄せようとしています。WTO・EPAなど外国との自由貿易交渉のニュースがたびたび出てきますが、日本が得意分野の工業製品を輸出するかわりに、コストの高い農産品を自由に輸入しようというのが、経済界の戦略です。どうせ日本で100%の食糧自給率は達成できないのだから、どう食糧を確保するかをしっかり考えた方が良いというものです。その準備と言っては政府が可愛そうですが、日本の農業も大規模化してコストダウンを図り、輸入品と競争できるものにしようというのが、今年から始まった、「品目横断的経営安定対策」だといっても良いと思います。モデルは北海道酪農で、この20年間で戸数を半減し、大規模経営を増やすことによって、乳価引き下げの中でも所得増大を実現してきました。(最近は生産抑制と、飼料高騰で一転して苦況に落ちていますが・・)この方式を、外国に比べて面積の少ない畑作や、米作に適用しようとしての経営安定対策ですが、特に米作では小規模の高齢化した農民が多く、今回の安定対策では対象になれない農家が多くでています。加えて米価の大幅な下落もあって、農業の構造改革に対しては反感が強くなっています。軌道修正をして、真の経営安定対策にして欲しいものです。