今日から二期目

 北海道議会議員の任期は、4月30日から4月29日までとなっており、昨日まではまだ前任期。今日から正式に新しい議員の任期となります。「よりパワーアップした議員として、地域と北海道のために働きます」と約束して再任されたことを、今後の活動の基本としながら、時々の課題や、今後の長期的な北海道の進路を定めていけるよう仲間と共に頑張っていかなければならないと思っています。とりわけ、今日の生活の維持を求める人の多い北海道の中で、公共事業は例えば50年後の北海道にとってどういう役割を果たすのか、環境の維持や、人作りはどういう目標の下に進めていくのかなど、しっかりした長期計画の下で今後の北海道のあり方を定めていくことが重要と思っています。
 課題は山積みです。日常に埋没せずに、地域を担う後進を育てながら、みんなと共に活動できるよう、日々の努力を続けていかなければならないと、新しい任期の初日に心を新たにしています。

昭和の日

 「いつの間にか」というと、時代音痴のようですが、そうでした。今日が、「みどりの日」から、「昭和の日」になったのを知りませんでした。私たちの世代には「天皇誕生日」との記憶がまだ強く残っているのですが、それなら、天皇誕生日が変わったときにそのまま昭和の日にしておけば良かったのに、何故・・・。5月4日を国民の休日として3連休にしていたのを、緑の日として、高齢者に馴染みの深い昭和を復活したのでしょうが、色々理由を付けても、何となくうさんくさい感じがします。「美しい国」と言いながら、天皇が変わるたびに誕生日の祝日が増えていくのを何とも思わないでいると、かつての美しいニッポンが復活して出来上がってくるのではとも思ってしまいます。安倍総理の言う美しい国とは、本当はどんなものなのか、かつてのように、家庭でのしつけの出来る道徳を復活しようとしているのはよいとして、それと昭和の日としたことは関係ないのでしょうか。

退任挨拶

 昨日の話になりますが、5期20年間にわたって別海町のリード役を果たしてこられた、佐野町長が退任の挨拶に事務所にこられました。地域の施設整備や、町政の安定、医療福祉の充実のために本当に尽力された方です。中標津に引っ張られて、人口の減少が続く根室管内ですが、別海町はここ何年かは、横ばいを続けています。これも、酪農水産を中心とした産業政策がしっかりしていたからと思います。今日の別海町を築いた功労者でもあります。今回の町長選挙では、後継と目された候補が、大差で敗北しましたが、それは、40年続いた流れを変えてみたいという別海町民の判断で、佐野町長の業績が薄れることでは決してないと言うことだと思います。
その後で、羅臼町の脇町長がやはり事務所を訪れて、改選された挨拶をされました。医療のことが最優先課題と言うことで、私も協力を依頼されました。共に力を合わせて1日も早い解決をしたいと思います。

選対本部解散式

 今回の道議会議員選挙の選挙対策本部の解散式がありました。後援会から改変したものでしたが、中標津町農協の高橋組合長を本部長として、今回も戦いました。各町での選対も良く整備することが出来、充分な戦いで、素晴らしい結果を得られました。各組織、各団体、各個人の方達が、それぞれの持ち場で、しっかり役目を果たしてくれたことが、今回の結果を得たと思っています。今度は、私が自分の役目をしっかり果たしてお返しする番です。4年間、また実直に、誠実に地域課題の解決と、北海道の発展のために働いて行こうと思います。解散式後に開かれた慰労会(とは言ってもめいめい会費を出してですが)は、勝利のあともあって、前回より一層和気あいあいとして、賑やかに歓談しました。この雰囲気を地域に広めて一体化した中で地域振興をはかれるようにしていきたいと思いました。

農業振興のために

 高橋知事も、北海道の自立のための産業振興では、一番に農業振興をあげます。私もそう思いますが、ではどうやってそれをしていくのか、具体策が見えていません。米は、道内食率が上がり、市場価格も値上がりしていますが取引の大部分は年間まとめての契約取引で、決して高くはないとのこと。簡単に所得向上とはならないようですし、酪農も減産と手取り価格の減少で所得は低下、畑作も今年から品目横断の所得保障を取り入れることになりますが、計算すると1割くらいの所得低下になりそうとのこと。一体どこに振興のための施策をいれていくのかという問いが出されます。このことを言うと、お金がないのですという答え。それでは農業振興など出来ません。さて民間の智恵はいかが?農業の現場でコストダウンに知恵を絞って、懸命に働くしかないのでしょうか。自分で出来ることは自分でするという農業経営の基本をもう一度見直してみる必要がありますが、その上で、例えば草地更新などの助成策はとれないものか、また、国の予算の一部を北海道に指定交付金の形で移譲して独自の振興策に使うことは出来ないか、今後検討する余地がありそうです。

飛行機の遅れ

 25日、研修があってその段取りのため24日の最終便で出札しました。飛行機は、機材繰りの都合のため45分遅れで出発と言うことでしたが、結局1時間近く遅れました。今日はクラス会で出札していた前の秘書の守谷さんから、昨夜の礼と無事中標津に着いた報告の電話がありましたが、矢張り一時間遅れとのこと、そして夕方釧路から飛んできた小畑道議によると、この便も1時間遅れとのこと。高知空港での胴体着陸以来、同機種の飛んでいる北海道でも、特に点検整備に神経を使っていて、故障機の修理のために機材繰りがつかず遅れが出ているとのこと。以前から故障が多く不安だと週刊誌に書かれていた機種なので、一層不安感が増しているのでしょう。事故を起こすよりは安全に飛んでくれた方がよいので、急ぐ旅でなければ遅れは我慢するのですが、ぎりぎりで出張したりする人にとっては少々困ることになります。以前この路線に飛んでいた「YS」よりは、発着の安定性が良く操縦しやすいことから、欠航が少なくなったと言われていましたが、コストダウン競争の中で生産された機械のもろさが出たのではないでしょうか。低価格での自由競争の落とし穴に落ちなければよいがと思います。

北方同盟総会

 北方領土復帰期成同盟根室支部(略称・北方同盟)の総会が根室の北方4島交流センターで開かれ、顧問として参加しました。戦後60年を過ぎ、いくら訴えても進展しない返還交渉(交渉にもなっていない)中で、関係者の不信感と諦めが広がっているのではないかと危惧されます。元島民の方は高齢化し、一般の関心は諦めの中で低下してきているのが現状です。国内世論の後押しのない交渉が進展するはずもなく、ロシアの、「第2次大戦の結果として獲得した領土」との時代錯誤の主張にも充分反論できない政府のだらしなさも含めて、北海道はもとより、国内世論の喚起が非常に大事です。あの戦争の結果、戦争の愚かさを最も実感しているのが日本であり、その結果として、領土を失ったり、獲得したりの繰り返しをしないというのが、連合国側の終戦処理だったはずです。ロシアの言う、ロシアに都合の良い論法は、国際的に不当だと主張すべきです。日本は、本当は平和的に取得した千島列島全島に主権を主張しても良いのに、北千島は和平条約受入時に放棄して、終戦後のどさくさの中でロシアに占拠された、いわゆる4島の主権のみを求めていると言うことを国民にも、国際社会にも広く理解させることが重要ではないかと思います。

産品移出

 地域振興策を立てるに当たって、根室地域では、農・林・水の一次産業の振興がまず第1ですが、そのためには原料での移出ではなく、何らかの加工を施した上でやることが、雇用を含めて地域貢献が多くなることになります。勿論これまでもそうした事は意識されてきましたが、原料が新鮮で優れていることから、これまでは、そのまま出荷されることが殆どで、産業としての広がりや、雇用の増大にはなかなか結びついてきませんでした。よく言われるように、たらこが九州に行って「明太子」として全国に売り出されているのに、産地である北海道ではそのような製品がない、もっと加工をと言うことが言われていましたが、素材の良さ故に、そのままで充分商品になってきたのが現状でした。作ることと、売ることは別で、流通に耐える製品は出来ても、それを売り込んでいくことは非常に難しいのが現実です。今後国内だけでなく、広く海外にも進出する気概を持って、地域の加工産業を育てていかなければならないと、今回の選挙を通じて感じています。

町民の意向

 統一地方選挙第二弾の、市町村長と市町村議会議員選挙が今日行われました。私の地元でも、40年ぶりの別海町長選挙と、中標津以外の3町の議会議員選挙となりました。注目の別海町長選挙は、民間出の水沼氏が、町役場出身の曽根氏を約3000票近く離して勝ちました。40年間選挙がなかったことから、各方面から注目されていましたが、町民は変化を求めたと言える結果だったと思います。もう一つは、草の根で活動する運動員のエネルギーのすごさを改めて感じたと言うことです。
 一方町議会議員選挙も、定数削減の中で、生き残りの戦いとなっていて、各候補は必死の戦いをしていました。特に、最近無競争の続いていたところでは、支持者の特定が出来ず、不安の中の戦いとなっていました。今後の選挙に当たって、無競争の選挙区での戦いをする参考として、しっかり総括しなければなりません。

国民年金

 19日に札幌へ行き、挨拶回りや今後の日程などの打ち合わせをして、あわただしい中で20日の最終便で帰町、その後すぐに出札前に回りきれなかった別海町議会の保守系候補の事務所に激励の訪問をし、夜になってしまいましたが、昨日亡くなった40年来の友人の所へ弔問に寄って8時半頃の帰宅となりました。
 家に帰って食事のあと、郵便物を見ていると、社会保険事務所から今年度の国民年金の振り替え保険料のお知らせがありました。女房の通知を見たら一ヶ月分が14500円となっており、値上がりしたなと思って、自分の分を見ると、12月以降のところが抜けています。何となく、得をしたような、ああとうとうそんな歳になったかという寂しいような、複雑な気持ちになりました。60歳になるので、保険料を納めなくても良くなるのです。若いつもりでいますが、着実に(?)歳は進行しています。40年間納めているので、もらうときには満額の792100円(月額66000円)の年金が受け取れるとも書いてあります。まだしばらく先の話ですが、楽しみなような、でも例えばこれだけで暮らすとなると、到底足りないという現実も伺えます。自営業者には厳しい国民年金の実態が現実として感じられることになりました。