2006年もいよいよ今日で終わりです。私にとっては、新年早々の羅臼町の高波災害に始まり、10月の低気圧災害、11月の佐呂間町の竜巻と、大きな災害の多かった一年との印象が強くあります。私が議員に出ることになった4年前とは、酪農情勢が大きく変わってきて、一転して牛乳の過剰による減産と手取り価格減少で、大きな投資をしてきた経営の危機が心配されるようになってきました。一方で、当時大変だった稲作は、新品種の登場と、2年連続の好天と、知事を先頭にした道産米愛用運動で、希望の見えるようになりました。また豊漁貧乏になっていた秋鮭も、輸出の増加で在庫が整理され、今年のように災害で漁が減少しても価格上昇で収入はある程度確保できるようになるなど、長年努力を積み重ねてきた成果の現れてきたものもあります。北海道の第三の産業となっていた建設業関連は、公共事業の減少で経営の見直しを迫られていますし、自由競争の中で、大規模店に席巻されている地方の商業、急激に変化していく医療、介護、障害者福祉などの変化について行けない人達の問題など、少子高齢化の急激な進行が、社会にひずみをもたらしてきています。
来る年は、統一地方選挙という、住民に選択する機会が与えられることになりますが、評価と選択を誤らないように、報道だけで簡単に動かされないしっかりした目を持って頂きたいと願っています。
来年が、皆様方にとってより良き年となるよう祈っていますと共に、今年一年温かく支援をして頂いたことに感謝して、2006年最後の日誌と致します。有り難う御座いました。
月: 2006年12月
別海農協で挨拶させて頂きました。
日中は、年末の挨拶回りを続けていました。夜、別海農協の各種役員が集まって、今後の酪農情勢や、春の酪農畜産運動に向かう姿勢、豪州とのEPA交渉などについて協議する場で、組合長の配慮で、ご挨拶させて頂く機会をいただきました。本当は10分程度の予定でしたが、15分にもなってしまい、迷惑をかけてしましました。4年前からの思いと、これまで取り組んできたこと、高橋知事を中心にしての、北海道の再建、知事選の重要性、そして自分の今後の姿勢などをお話ししました。意識して、力が入るとどうしても話が長くなってしまいます。もっと簡潔に解りやすく話せるように整理していかなければと反省しています。
年末
今年もいよいよ押し迫ってまいりました。一年間何かと支えてくれた方々に、年末の挨拶に回っています。今回は、ゆっくり話す暇もなく、お互い顔を合わせて、年末の挨拶言葉を交わすだけですが、日本人の奥ゆかしいところか、それだけで一年のことが、一気に収束されるような気がします。どなたも暖かく、来年も頑張れと言葉をかけてくれます。急激に変わっていく、激動の時代に、この管内を中心に、北海道の将来を確固たるものにするため、引き続き懸命に働いていきたいと思います。
日帰り
根室管内一市4町で構成している、「北方領土隣接地域振興対策根室管内市・町連絡協議会(略して、北隣協)」が、今年3月にまとめた「北方領土問題の取り組み再構築提言」の中から、要望点を絞って実現を図るために、私たち関係議員も同席して知事に要望をしました。要望は、
1・北特法の改正と地域財源対策の充実
2・北方4島周辺海域における漁業の安定
3・北方4島周辺海域におけるカニ資源に関する研究
4・北方4島医療拠点機能の整備
5・領土問題未解決に伴う損失調査と、アクションプログラムの策定などに関してです。
殆どが国への要望なので、知事も、「地元の方達と連携しながら、一緒に実現を図っていきたい」と話していました。今日の要望の中で、外国トロール漁船の操業規制についてのものがありましたが、羅臼漁協によると、今年も5隻の大型船が来ているとのこと。近海の資源(今はスケソウダラですが)がごっそりと獲られて、年々資源が細っていくのを抗議しながら見ているしかないのが現状で、外交ルートによって解決するしかないと思います。
今日は、このために朝の便で行って、夕方の最終便で帰ってきました。
クリスマス
今日はクリスマス。西洋式太陽復活祭との説もあります。夏至の日に見た、真っ赤な大きな夕日が、次の日から徐々に長く天空に止まって再び私たちにその恩恵を与えてくれることを祝った伝統行事が、キリストの誕生と重ね合わされてこの祭りになったとの説は説得力があります。お祭り好きな日本人のこと、キリスト教徒でもないのに大騒ぎしますが、それはそれでマアイイッカ。街で、楽しい遊び心のサンタ飾りを見つけましたので、紹介します。
大勢で餅つきをしました
私の家の菩提寺(中標津町の開光寺)で、青年部主催の年末恒例の餅つきをしました。私も、挨拶回りを休んで参加しました。今から6年前、私が青年部長をしていた時、方丈さんの希望もあって、何とかお寺に若い人や子どもの声を響かせたいと、ささやかに始めました。最初の時は、青年部と婦人部で20人ほどに、子どもが7人ぐらいだったと思いますが、今年はなんと100人にもなりました。当初の目的の若い人達も増え、年々盛大になってきました。私たちも、搗き手や、相取りの中心になっていましたが、今年はあまり出番がないほど、若い人ばかりでなく、シルバー世代の人達も若い者には負けない「昔取った杵柄パワー」を発揮して参加。70キロの餅米が、1時間半ほどで搗きあがってしまいました。子ども達がお寺に来て、今度は仏教の中で昔から、人間としてやってはいけないことを教えられたらいいなと思っています。継続は力ですね。
冬至
コートもいらないような暖かい東京から飛んで帰って、午後からはお世話になっている方に年末のご挨拶回りをしました。予算内示の関係で東京に行っていたとの話と、開発予算が年々減額になっている話をすると、これ以上景気が悪くなっていくと、北海道中が夕張状態になるにではとの心配の声が聞こえます。自立の道のりは遠く険しいもので、それまでの体力をどう保っていくか、何をもって自立の手だてとするかが、なかなか見えません。東京で会った大学の同期のみんなも、「道州制を取り入れるのは良いが、早く経済的自立をしなければ・・・。」といいました。商事会社や、自営業で、国内外に行っている仲間で、国際的な視野を持って見ている人達です。道民は、他の都会との格差を言い、自立するまでの我慢をしてはくれないだろうし・・・。
挨拶回りの途中で見た、道路からはみ出すような、大きく真っ赤な冬至の日の太陽が、明日からまた復活してきて、長くその恩恵をもたらしてくれるように、私たちも頑張らなくっちゃと思いました。
みんな真剣です
予算の内示が昨日あり、今日は、その説明がありました。北海道の開発予算は、昨年比マイナス6.8%の632億です。しかし、まだ要求とはかなりの開きと、北海道のシェアが昨年の9,5%より下がって、9.2%だったことから、復活要求に、与野党を問わず真剣に取り組んでいました。特に、与党は、その責任政党としての役割を果たすため、体を張っている様子がうかがえて勉強になりました。また、地域の最大課題の医療について、武見厚生労働省副大臣にも、今後の知恵を授けて頂きたいと、単独で訪問してきました。副大臣は、まず、看護師と、助産師を育成できる体制を整えることが大事と思っていると話されていました。今後、地域で検討して、案を持ってきますからと御願いして帰りました。
北方領土の要請活動
今日は、朝から自民党道連北方領土問題特別委員会の正副委員長の、小池道議・加藤道議と共に、終日関係省庁や、大臣に要請活動をしました。朝一は、中川政調会長で、ここでは返還についての、国の方針(4島の帰属を確認して、平和条約を結ぶという原則の上で、返還の順序については段階的に交渉に応ずる)と違った話では、ロシアに足元を見られるだけだから注意せよとの話をされました。
その他では、麻生外務大臣、高市内閣府特命大臣、伊吹文部科学大臣の3人の他、橋本聖子道連会長、武部前幹事長、宮腰自民党領土に関する特別委員長、外務省欧州局審議官、ロシア課長など、実に沢山の方々に会って、要請することが出来ました。この他、北海道選出代議士の皆さんにも同様の要請活動をして回り、1日こんなに沢山の方々に会えたのは、初めてではないかと思うくらいでした。
また、今日内示された来年度予算の中では、これまで要請を続けてきて、二年間調査費が付いていたビザ無し訪問専用船について、1000万円の仕様書作成経費が付けられたと言うことです。実現に向かって、一歩前進したと、評価できるものです。この他、後継者対策推進費も、200万の増額があり、今後返還運動を全国に拡げて強化する期待も示されました。
明日は、農漁業の関係の要請をすることにしています。
麻生大臣と、高市大臣に要請
伊吹文部科学大臣には教育の拡大、中川政調会長には、隣接地域の振興策について要請
久し振りの上京
道議会自民党の殆どが、予算内示に併せて東京に集まっています。私も、午前中は挨拶回りをして、午後の直行便で東京に飛びました。夕方着いたので活動はありませんが忘年会シーズンで、街はお祭りの宵宮のように人々で一杯です。日本中の富と人間を集めているだけに、活気があります。邪魔になって道を歩けないほどです。ただ、ここで暮らしている人達が、北海道の田舎を理解できるかどうかです。東京ペースで何でも決められてはかなわないとも思います