僻地医療

 今日の北海道新聞の根室版や、釧路新聞などに、管内の医療に関する記事が3つ載っていました。一つは根室市立病院の4月の入院患者が18%減ったことと、新病院建設への計画見直しの方向性を明示できなかったこと。次は、中標津病院が昨年度4億3千万円の赤字決算を出したというニュース。医師不足から、常勤医が5科で確保できず、特に整形外科で常勤医が確保できなくて、入院を受け入れられなかったことが大きいと報じられています。今ひとつは管内4町でこれまでの地域医療検討会の報告に基づいて、それを更に実現に向けていくための、「地域医療体制推進協議会」を立ち上げようと4町の助役や幹部職員が集まって会合を開いたが、議題となる具体的な内容が各町長に説明されていないということで、要項案了承を見送ったという記事でした。何れも、僻地(?)医療が、医師不足と、それを補うための高額な人件費、医師がいないことで、病院の信頼性が揺らぎ、患者減を招くという悪循環であえいでいることを示しているものです。あの室蘭の日鋼記念病院でさえ、産科の医師がいなくなる危機にさらされているという記事も昨日報じられていました。北海道の医療の置かれている現状です。

北方領土復帰期成同盟

 午後から、札幌で北方領土復帰期成同盟の総会があり、出席しました。全道の代議員総会なのでそれほど人数は多くはありませんが、全道で元島民と共に返還運動の先頭に立っている方達が集まりました。北方領土は昨年、日ロ通好条約によって択捉島と得撫(ウルップ)島の間に国境を定めてから150年を迎え、秋にはロシアのプーチン大統領が来日し、何らかの進展があるのではと期待した国民の願いは見事に裏切られる結果となりました。戦争の結果得た領土は返さないという態度ですが、今回の大戦では、どの国も新たに領土を得た国はありませんし、戦争によって獲得した領土は、相手国の恨みの対象となり、再び戦争の原因になると言う過去の歴史の過ちを繰り返さないために、新たな領土は求めないと言うのが、戦後処理の原則だったはずなのですが。今年は、日ロ共同宣言で国交を回復してから50周年にあたり、今年こそ何らかの解決をと言うのが今日集まった方々を代表とする運動関係者のみならず、全ての国民は願っています。

松実さん

 今日は、去る5月7日に亡くなった「松実武夫」さんの社葬があり、お参りをしてきました。松実さんの経営しているホテルの大ホール・と言うよりはホテル中・に、いっぱいの人が集まり、別れを惜しみました。私もそうですが、こうして、写真でしか会えないことに、無念さと、悔しさが募ります。松実さんは、色々な意味で、中標津だけでなく、この地域に大きな足跡を残した人です。強引な面と、人情味あふれる人柄、地域に対して限りない情熱を持つ、会社では、社員を殴りつける時もありながら、その生活を守るため緻密な会社管理をするなど、誰にでもは真似の出来ない創業者人材でした。百戸足らずの私の地域で復活以来20回を重ねている盛大な盆踊りに、多くの寄付と協力をし、毎年来てくれていた姿は、田舎を大事に活性化支援をしたいという気持ちが表れていたし、小学校のバレーボールが全道に行く時や、高校の野球や、ラグビーが甲子園や花園にいった時も、自分のことのように喜び私たちの要望に快く応じてくれたものです。勿論私の選挙の際にも、激励会と称して、事務所いっぱいに社員を集めて、下手な演説を聴いて貰ったことなども、忘れられない思い出になってしまいました。私たちが、この思いを引き継いでいかなければと、改めて感じています。

パークゴルフ大会

 心配された天気も、幸いスポーツ日和となり、さわやかな新緑のもと150人以上の方々が集まって後援会主催の第4回パークゴルフ大会が開かれました。会場の道立ゆめの森公園パークゴルフ場は、今年から指定管理者による管理となり、管理費も随分切りつめられたため、利用者の要望だった「シーズン券」の採用は見送られました。大会は、4町から、日頃の腕自慢の方々が集まり、余り良いコンデションではない中、4コースで80点台もでる成績で、さすがと思われました。ともあれ、成績に一喜一憂しながらも、楽しい時間を過ごせた1日でした。参加者の皆さん有り難う御座いました。そして、連絡が行き届かず参加できなかった方ごめんなさい。

自民党支部総会

 午前中、下家さんの葬儀に出席した後、民間で酪農ヘルパーの会社を運営している「ファームエイ」という会社の総会後懇談会に出席しました。中標津・計根別・上春別の三農協ヘルパー組合から委託を受け、年間6000日を超える利用を得ています。この会社があることで、この地域の酪農ヘルパーは安定的に発展してこられましたが、20数人いる要員の入れ替わりが多く、一人前のヘルパーにするための教育に本当に苦労しています。  午後からは、自由民主党中標津支部の定期総会を開きました。今年は、例年より、予想を超えて出席者が多く、有り難いことと思いました。昨年の活動報告、収支決算報告、今年の活動計画と予算について、原案通り可決して頂きました。自民党も、景気の低迷の中で地域経済に刺激を与えられるような予算を獲得して欲しいという期待に応えられず、もっと金を持ってくると主張している人に押しまくられているのが現状です。来年の統一地方選挙に勝ち抜くためにも、組織と内容を充実しなければならず、今年の課題です。
   

幹事長と、代理                   皆さんに挨拶しました

市町村合併

 今日は、道内調査二日目で、釧路管内に移動して、この管内の市町村長さん達と意見交換しました。昨日の網走管内とは、雰囲気が違って、合併について、まだじっくり議論する時期ではないことや、道州制に対する疑問、支庁再編と合併の関連などについて、相当厳しい本音の意見が多く出ました。これまでの歴史的な積み重ねや、道の行こうとしている方向などについての理解と信頼感などに差があることを強く感じました。昨日の網走支庁でもそうでしたが、地域主権型社会の形成に当たっては、北海道としてのビジョンや、制度設計がきちっと出来なければ、前には進めないと感じました。二日間の道内調査でしたが、各町を預かって居る首長さん達の苦労と、思いの解った調査でした。
     

途中寄った東農大のエミュー飼育農場     阿寒行政センターの噴火観測設備

道内調査

 今日明日の2日間の日程で、道州制等調査特別委員会の道内調査があり、今日は網走管内に来ました。最初は、東京農大網走校で、生物産業学部4学科を置いて、地域に根付いた研究と教育をしています。これまでの生物生産学科・食品科学科・産業経営学科に加えて海に関連してアクアバイオ学科を新設して、陸から海までの幅広い分野で、人材養成に当たっています。また、ビールや、牛乳、パンなどの加工研修施設も持っており、学生だけでなく、広く実習を受け入れていました。ここで要請された人材を地域に根付かせて、活用できればと思いました。その後、管内の市町村長さん達と、市町村合併と道州制について意見交換をしました。この中では、合併については、長く公共投資依存をしてきたために、自立意識が低いことや、単なる国の財政削減改革の手段に利用されないようにとの意見と、合併するに当たっての苦労談や、する・市内の判断について本音の意見が聞けました。
   

東京農大キャンパス             意見を聞いています


ビール製造実習装置

訃報

 今日は一日自宅でパソコンに向かって作業をしていました。時々電話が鳴ったり、来客があったりでそのたびに、「あら居たのか」と言って驚かれました。いかに自宅にいないかを改めて思い知らされました。午前中には、飼料用トウモロコシの種まきの機械が来ましたが、折悪しく雨になり、少しだけ蒔いて中止したようでした。午後から、昔同じ部落に住んでいた、下家さんが亡くなったので、折り込みに名前を貸して欲しいとの連絡が入りました。私の父より一歳年上ですが、とても元気で、つい最近までゴルフをしていたような方でした。年と、病気には勝てず89年の生涯を終えられましたが、地域から中標津に出た人達で組織している「武佐会」という会の会長さんや、お寺の総代などをして、面倒見も良い方でした。私にも、何でもズバリと言ってくれる大久保彦左衛門のような人でした。お世話になったお礼と、ご冥福を祈りたいと思います。

総会2題

 今月から、6月上旬にかけては、各種団体の総会が目白押しで、今日も、根室管内林活議連の総会と、中標津商工会の総会があり、出席しました。林活議連は、各行政体の中にあって、共同して森林・林業・林産業の活性化に当たることを目的として、結成されているものです。今日は、各市町から14名の代議員が集まり、今後の取組、来年苫小牧で開かれる全国植樹祭出席への対応などが話し合われました。その後の時間で開かれた中標津商工会の総会では、厳しい状況の経済の中で、今後のあり方についての情勢分析などを確認しました。終了後長年企業の社員としてその発展に貢献した優良従業員72名が表彰を受け、会員から祝福されました。人口が増え続ける全道でも稀な町の中で、何が出来るか、守りではない工夫が出来ないか、今後の課題としたいと思います。

1日の出来事

    

別海消防団総合訓練の様子        いざ放水


まだ残雪に包まれている知床の山々
 朝、暖かく、好天に恵まれて、別海消防団の総合訓練大会が、尾岱沼漁港で開かれました。日頃の訓練の集大成として、ポンプ操法競技を、7つの分団で競い合いました。異連れも訓練の成果を遺憾なく発揮して、立派な成績でした。その後、標津の「ホタテ祭り」に立ち寄り、途中余りにも知床の山々がきれいに見えていたのでシャッターを切りました。ホタテ祭りも、好天に恵まれて、多くの人が集い、盛大に開かれていました。午後からは釧路に行き、自民党第7選挙区の党大会に臨みました。三役会・役員会の後大会を開きましたが、昨年の衆議院議員選挙の敗北の総括が出来ていないことと、その原因に関しての対立が根深い者であると感じられました。大同団結を誓いましたが、実質的にそうできる日が、1日も早く来るよう汗をかかなければと思います。