昔の9月15日の敬老の日が懐かしいのは、第2月曜日に移行してからのことだ日にちが固定している方が、祝日が固定されていた方が解りやすいのですが、それよりもこうしてわざわざ3連休にして行楽客を増やそうという政府主導の経済第一主義が、人を敬老から行楽の日へと導いたのが気に食わないのです。そしてもう世の中には老人を敬う事よりも迷惑なものという感覚が大きくなっているのではないかと思ってしまいます。貧しさでどうにもならなくなった時代の老人は、自ら、若しくは息子が泣く泣く姥捨て山に背負っていって置いてきた悲しい悲しい話があるので存在となった悲しい悲しい時代になってしまったのではなかろうか?存在となった悲しい悲しい時代になってしまったのではなかろうか?