根室管内ホルスタイン共進会

 さわやかな夏空の下、平成18年根室管内ホルスタイン共進会が開かれ、200頭を越す乳牛がその機能美を競いました。牛乳の減産に入った中で、個体販売価格の向上や、丈夫で長持ちする生産性の高い乳牛の改良を目指して常日頃の改良の成果を競う場です。きれいに毛刈りした、育成牛から長い間働いてきた成牛クラスまで、14部に分かれて審査がされ、この中から9月22日に開かれる全道共進会に54頭が代表として出場することになっています。
 今日はこの他、障害を持った家族の会と一緒の研修や、道議会北方領土特別委員会と地元関係者の本音での懇談会などがあり、それにも参加しましたが、それぞれ大きな問題ですので、後日改めてコメントすることにします。

あと一歩

 今日も、再試合の高校野球が気になってしまいました。早稲田の斉藤投手が、憎いほどコントロールが良く、最後まで乱れないのには、敵ながらあっぱれで、憎いほどでしたね。昨日と殆ど同じ展開で、少し違うのは、田中投手が疲れていて、フォアボールのあときっちり送られ、たまに甘い球が来るのを、早稲田は見逃さず得点につなげていった事ぐらいで、息詰まる戦いは同じでしたね。3点差のまま終わるかと思いましたが、最終回のツーランで、1点差に迫った時は、これまでの壮絶な逆転劇があるのではと期待したのですが、早実の斉藤投手もさすがに落ち着いていて、そのまま終わってしまいました。ああ!夏が終わったと言う感じがしました。素晴らしい試合を堪能させてくれた両校、特に何度も負けたと思える試合を勝ち抜いてきた我らが北海道駒大苫小牧高校に最大の賛辞を送りたいと思います。あきらめない、最後まで気を抜かないで頑張ることの大切さを教えて貰いました。連投となった、田中・斉藤両投手の肩が壊れていないことを祈ります。



我が家の花壇と、猫

色々ありました

今日は、悲しいこと、嬉しいこと、色々ありました。午前10時から昨日書いた徳田さんのお葬式に出て、焼香したあと、故郷武佐の敬老会に駆けつけ、元気な先輩の皆様方に御祝いを言って、今後も元気でいて下さいねと声をかけました。午後からはテレビに釘付けになり、駒大苫小牧を応援。15回の激闘に感激しながら、空港に、盛田さんのお悔やみに行って来た高橋知事を見送りに駆けつけ、領土返還運動などについて地元の方達の変化を話しました。その後友人のKさんのところでやっている、バーべキューパーティに行きました。そこには、小六礼次郎・倍賞千恵子さんご夫妻もおり、楽しく会話をしながら、北の勝の”一番搾り”(ただし去年の)やワインを飲み過ぎました。

徳田康二さん

中標津町議会を9期36年、議長も2期勤められた、徳田康二さんが、16日突然亡くなられたとのことで、今日1時間遅れの飛行機で帰ってすぐお悔やみに行って来ました。生前は、何かとお世話になり特別の恩返しもしないうちに、70歳という今ではまだ若い年齢で亡くなられたことに、寂しさと申し訳なさを感じます。通夜の席で導師の方が、以前からご夫婦で生前戒名を戴きたいと言うことだったので、お盆のお参りの時に届けようと持参したところ留守だったので、16日盂蘭盆会法要の終わったあとその戒名を渡して、意味も説明したばかりだったのに、その晩突然なくなったことを聞いて驚いたと話していましたが、何か自分の死期を悟ったような、不思議な因縁を感じました。ともあれ、中標津にとっては町発展の功労者であり、まだまだ惜しい人材を失ったと思います。戴いた恩返しは地域発展に尽くすことでお返ししたいと思いました。ご冥福をお祈り致します。

ヒアリング

 曇っているのに、とても蒸し暑い1日でした。北海道以外の梅雨の季節を過ごす人達の悩みが解ります。まとわりつくような暑さと言っていましたが、今日はまさにそんな暑さでした。そんな中、一日中政審では各部からの、第三回定例会に向けての課題や、補正予算、条例改定を聞くヒアリングが開かれました。各部門とも様々な課題があって、どれも今の状況の中では大変な意味を持つものですが、特に、経済部の旧産炭地のことや、短期雇用対策、若者の雇用問題などは、簡単に解決できる策がなく、重たい問題です。基本的には北海道の経済が活性化されなければ、解決できない問題ですが、その手法が、自立なのか依然として国依存なのか次の知事戦の争点にもなるものです。かつて景気浮揚のために国は多くの社会資本整備のために予算をつぎ込み、(それが今の膨大な負債に繋がっているのですが)そのことで税収も増やそうとしたのですが、意に反して、税収は延びず、返しきれないほどの借金が残ったのが今の北海道だとも言えます。苦しい時期を乗り切って自立を目指すには、矢張り行財政改革を進め、次への投資を出来る財政的余裕を作り出すこと、民間の出来ることはどんどん民間に移譲する、自前の産業育成に全力を挙げることなどが、遠回りのようで、一番確実な手法ではないかと思いますが、皆さんはどう考えますか?この日誌の一番下の、(メールはこちら)と書いたところをクリックするとメールが送れます。ご意見をお寄せ下さい。

漁船銃撃

 衝撃的なニュースが、午前中お寺で盂蘭盆会の法要の最中に入りました。水産林務委員としてすぐに何も出来ないのがもどかしいのですが、政府の対応についても、同様の感がします。最近の北方領土に関するロシア側の態度が、強硬になってきていることから、全く予想できなかったことではないのです。領土問題解決に踏み込めない小泉政権に、根室管内の運動関係者のみならず、漁業者の苛立ちは大きくなってきていました。終戦の日を迎え、改めて外交の重要さも思い知らされますが、長期の戦略に基づいた外交が下手な国だと、改めて思い知らされます。今回の事件も、領土問題の進展があれば防げたと言えます。中間ラインを越えて創業しようとした漁船にも非はありますが、少なくとも銃撃による死者が出る事態は防げたと思います。今後、このようなことを防ぐにはどうするか、冷静に検討しなければならないことだと思います。

終戦の日

 今日は終戦の日、61年前、無条件降伏を受け入れた日です。中標津町では「殉公者慰霊祭」別海町では「戦没者慰霊祭」が開かれました。どちらも10時という時間の案内があったので、今年は別海町に出席しました。206柱の戦死者の名簿が飾られた祭壇に、戦争の悲惨さを想い、国と故郷や、家族を守るために命を捧げた人達に、決して過ちを繰り返さないことを誓って、献花しました。国では、小泉総理大臣が、終戦の日を選んで靖国神社に参拝。「何時行っても非難するのだから、終戦の日に参拝した。」とコメントしていますが、問われているのは、靖国に参拝することや、それが何時なのかではなく、あの300万人が(アジア全体では2000万人と言われている)死者を出した戦争の責任を曖昧にしている日本の姿勢なのではないかと思うのです。どんな組織でも、その理想はともかく、結果責任をはっきりさせるのが世界の常識なのではないかと思うのです。自ら戦争の責任を明らかにしないで、東京裁判は戦勝国の一方的な判断とし、国を思う憂国の士として責任者を、靖国へ合祀してしまい、それを神として参拝する姿勢が問われていることをなぜ思わないのか私には解りません。そこが、日本とドイツの世界からの受け入れられ方の違いにあると思うのです。皆さんも考えてみて下さい。日本が、経済だけでなく本当の意味で世界に受け入れられるには、どうすればよいのかを。

大綱引き

今日も、中標津夏祭り。昨日から沢山の行事が催されていますが、午後1時からは、かつてギネスを目指した450メートルの大綱引きがありました。東西に分かれての綱引きですが、私も先頭で参加。本当は、東チームなのですが、申し込み時点で、東が一杯になっているので西に回って欲しいと言うことで、初めて西軍で引きました。結果は1勝1敗で、勝負も10センチ程度の差で、仲良く引き分けとなりました。参加者が、約300人と、一番最初の時の600人から見ると半分になりました。それでも片側150人もの人達が引き合う綱引きは豪快です。夜には、仮装盆踊りがあり、審査員も勤めさせていただきましたが、大差なく、順位を付けるのも、エイヤっとしなければならない状態でした。

祭りのエネルギー

暑い夏の中、各地で夏祭りが開かれています。今日は別海町西春別地区で、「ウエスタンカーニバル」が、中標津町では「第50回中標津夏祭り」が開かれました。どちらも、規模の大小の違いはあるものの、実行委員会の手によって行われていることに共通点があります。勿論これだけでなく、管内各地の祭りは、殆どが民間の実行委員会の手によって開かれます。イベントや、祭りは、始めるのは簡単でも、続けるのが大変なのは、こうした実行委員が、何時も同じ人達になりがちだと言う事です。祭りに参加する人は、気付かないで終わりがちですが、こうした人達の献身的な協力でこのエネルギーが出て来ることを感謝しましょう。


会場を飾る1万個の提灯

地鎮祭

 1日遅れの記載となりましたが、10日には、もう一つ地域にとってとても嬉しい、雪印乳業中標津チーズ工場の建設を開始する地鎮祭が開かれました。牛乳の消費が減少をして、需給バランスが崩れていますが、消費の増えているチーズ生産を拡大しようと、春には明治乳業が十勝管内芽室町に建設を決めたのに続いて、6月に、雪印乳業が中標津工場の新築と大樹工場の増設を、森永乳業が別海工場の増設を発表、今日の地鎮祭となったものです。中標津町の酪農は、約80年前に根室から数頭の乳牛が武佐の入植地に導入されたのが始まりで、その後、雪印の前身である北海道製酪組合の設立に参加し、その当時に中心的役割を果たした、児玉由一氏は、後に雪印乳業の社長も務めたりと、北海道の酪農や、雪印乳業の原点とも言える役割を果たしてきました。そして今、北海道酪農の一大生産地としての地位を確立してきました。この工場建設は、今後更にこの地域の酪農を確固たるものにしていくために大きな役割を果たしてくれるものと期待しています。