一転

 田中文科大臣が、あの不認可発言から5日経って、一転して3大学の年内認可の方向に舵を切った。
 当然と言える措置であるが、やはりこの内閣は政治主導と言うことをはき違えていたように思う。
 政治主導とは、政治の方向性を政治家が打ち出し、それに沿って事務当局(役人)が施策を具体化していくというもので、当然その中には意見の交換や、方向についての事前の打合せがあるものです。
 田中大臣らしいと言えばらしいのですが、思いと大臣としてのなすべきことの仕分けが出来ていないのではと思います。
 人間的に成長していない大臣では、その名に値しないと思います。
 直ちに罷免すべきと思います。

鮭稚魚の孵化事業

 今年は秋鮭が不漁で、特に根室海区、襟裳以東、以西などの太平洋水域の不漁が目立っています。
 加えて日本海側は、低迷状態が続いたままです。
 北海道全体では、これまでずっと約10億匹の稚魚を孵化放流してきましたが、特にこの5〜6年前頃から、オホーツク以外では不漁が常態化しています。
 要因はいろいろあるようで、孵化事業を行っている施設が老朽化してきて、稚魚にとって良い環境でなくなっていることや、水が不足気味であったり、稚魚の病気を防ぐための消毒薬が効果的なものがなくなったり放流時期や、海の環境が変化していたりと、考えられることはたくさんあるようです。
 今日は水産常任委員会が開かれたあと、北海道サケマス増殖協会の役員の方々が要請に訪れ、これらの対策を来年度の施策に取り入れるよう要望されました。
 手を打っても、早くとも結果の出るのには4年かかることを考えると、苦しい財政の中ではありますが、何らかの手立てが必要と思います。

それは無体な!

 田中文部科学大臣が、突如今年新設を申請し、審議会で開設に同意された3大学を認可をしないと表明し、物議を醸しています。
 「やっぱりやったか」というのが感想です。
 例えば北海道の吉田学園が申請していた札幌保健医療大について、大臣がどれ程の内容検討をして不認可と言ったのか。
 北海道の医療現場でどれ程看護師が不足しているか、これまでの医療機関付属看護学校から、医療の高度化に伴って大学化へと移行しているかなど、地方の事情や、現場の状況を踏まえての発言か、全く疑わしいと言うより、独断で、原理主義的な発言としか思えません。
 全く間違った政治主導で、手順も何もなく、もう本当にこの内閣はどうなっているのかと改めて思います。

文化の日

 今日は文化の日。
 昨日の新聞に、日本人のルーツに係わる記事があり、DNA分析によると、今の日本人は縄文人の住んでいるところに弥生人が入ってきて、混血を繰り返しながら今の日本人を形成してきたとのこと。
 北海道のアイヌと沖縄の人のDNAに共通点が多く、弥生人が日本の中心に入り縄文人を南北に追い詰めていったことが推測されています。
 日本は単一民族かどうかと言うことが時々論争になりますが、確かにアイヌ民族がいたことは間違いのないことです。
 ただ、過去の歴史は兎も角、今では日本人として全く同等に扱われています。
 アイヌの人達は独自の文化を持っており、特色のある文化を持たない本州から移住してきた私達もこの文化を取り込んで独自の文化として育てていくと、北海道の存在感が増すのではと思っています。

怒った知事会

 知事会が政府との会談の場で、激しく怒っている様子が放映されていました。
 ここへ来て、支払われる予定の交付税が、国債発行のための「特例公債法案」が議決されないことで地方自治体へ支払われず、財政力のない地方自治体は、やむなく借入を起こすという事態になっています。
 このことで北海道の支払わなければならない利子は1400万円に達するとされており、いくらあとで交付税に上乗せして支払われるとは言え、全国で支払われる総額は、確実に財政に食い込んでいきます。
 決められない政治の典型であり、解散と取引しようとする野党の無責任体質も問われます。
 今の民主党政権が生き長らえることのマイナスは本当に大きなものがありますが、このまま行くと来年夏の任期切れの総選挙でも確実に負ける民主党を追い落とすために国民の生活を犠牲にしてはいけないことだと思います。
 同時にこんなに嘘を言い、失政を重ねて尚粘る民主党政権の感覚もひどいものです。これでは、言いたい放題の第3極に期待が集まるのも無理はないと思ってしまいます。

痛みを分ける?

 国会の一票の格差是正が問題にされています。
 それと同時に、予算の支出削減や、消費税導入などの国民に痛みを求める政策を打ち出すにあたって、それを決める側にも痛みを求め、それが議員定数の削減や、公務員の削減という方向であるかのような言動や、報道が多く見られます。
 閉塞状況を転嫁するには、人に頭を下げることが常識になっている公務員や、選挙で選ばれる政治家が先ず対象にされます。
 今日の国会議論でも、消費税を上げて、またかつてのような無駄な公共事業を増やすのでは、ということもありましたが、公共事業がそんなに無駄なところはあったでしょうか。
 議員定数を削減することが痛みを分けることに本当になるのでしょうか?
 こうした無駄論を論じる人の体に無駄なところがあるのでしょうか?