特急の中で

釧路から札幌へ向かう特急の中で書いています。

旭川行きや千歳までと違って、上下動が大きく何回も打ち間違いをします。これが苦しい経営状況のJR北海道の現実。よってスピードも出せず、利用し易い高速都市間バスに乗客は奪われて、ますます乗らなくなります。上下分離方式をいいますが、地方自治体に限りなく続く赤字を補てんしながら乗らない鉄路維持をすることなどできません。国もこの現実の中でどうやって隅々に人を配置するか、生産活動とその産物を人口集中地域に運ぶかを一地域や民間企業の問題としてみるのではなく考えるべきと思います。

北海道開拓の時代にどうしたかの原点に帰るべきではないでしょうか?

エビ祭り

朝家に帰ると、ちょうど牧草収穫作業の真っ最中でした。収穫期になって雨が多く畑が柔くて苦労しているようですが、草の量は平年並みか少し多いようで、昨年に比べると格段に多く、品質と合わせてこの秋からの乳量にも期待ができます。

午後からは女房と一緒に、尾岱沼のエビ祭りに出かけました。昨年の台風で大量の真水が野付湾に流れ込んだ影響を心配して、今年の漁獲量を絞り込んだせいもあって一キロ5600円と高値ですが、美味しいことに変わりはなくたくさんのお客さんが詰めかけていました。

代表質問

今日から代表質問に入り、自民党は新しく議員会長になった東国幹氏が質問に立ちました。知事与党ということで、政策推進の立場からの質問となるので、どうしても迫力に欠けますが、そうした中でもJR問題や、観光振興、空港民営化、など大きな懸案事項についてはじっくりと意見交換をし前向きの答弁を引き出すことができました。そのあとに質問に立った民進党は存在感を出すために再質問、再々質問と繰り返しましたが特に引き出すものがなく終わりました。次の定例会からは新しい体制での質問をしなければならないので、しっかり現場の調査をしたうえで、臨まなければと思っています。

文教委員会

道議会のこれから2年間の各議員の委員会所属を決める本会議が開かれ、それぞれの希望を調整した結果の名簿に従って私は文教常任委員会と北方領土問題調査特別委員会に所属することになりました。北方領土特別委員会は地域の最重要課題でもあることで引き続きの所属となります。

文教委員会は、議員になった時から所属したいと思っていながらなかなかその機会がなかったのですが、ようやく所属することができました。

様々な問題を抱えている北海道の教育ですが、何とか現場に注視しながら将来に向かってより良い方向を目指したいものと思っています。

今日から定例会

第二回定例会が始まりました。まず最初に30期後半の議長を選ぶ選挙が行われ、前もって最大会派の自民党道民会議から候補に選ばれていた大谷亨氏が議長に、副議長には第2会派の民進党道民連合の勝部賢志氏が当選しました。大谷氏は議員になる前から35年来の友人で、仲間が議長になったことはうれしい限りです。

この後高橋知事から約70億円の補正予算と土地改良等の市町村負担分を求める県などの議案提案がなされました。これから18日間の議会中様々なことについて議論して行くことになります。

非情な霧

サハリンからチャーターした飛行機DSC_0086

昨年の日ロ首脳会談で合意されたビザなし訪問事業のうち、元島民の墓参事業で始めて航空機での墓参が実現し、その見送りのために中標津空港に行きました。政府からは鶴保大臣も出席し出発式を行う予定でしたが、朝から道東特有の深い海霧が立ち込め、9時半にはあすへの延期を決定。

遠くから来た方も多く、今回が最後のチャンスとの思いということを考えると、本当に非情な天気です。

移動政調会2日目

日高管内の移動政調会は、新日高町(旧静内町・三石町)から新冠町、日高町、平取町と移動しながら行われました。今日は国会も終わったことから堀井代議士も参加し国政にかかわることは答えてくれたので、私は総体的な話をするだけでしたが、現地に来なければ聞けない様々な要望を聞くことができました。議会に居て陳情を受けるだけでは管内全体の限られた要望が開発期成会要望として挙げられたものに限定され、地域全体のさまざまな課題が分からないものです。

まだ正式に就任していない自民党道連政調会長という役目の最初の仕事でした。

日高移動政調会

東京方面の視察を一日早く離脱して、千歳空港から浦河町に移動し、様似町、えりも町と日高管内の移動政務調査会に出席しました。この管内の今の最大の課題はJR日高線の問題で、大時化で崩壊したままになっている鉄道をどうするかです。

すでにJR北海道にはそれを修復して列車を走らせる力はもうなく、復旧をあきらめたかのように「単独では維持困難な路線」として全道13の路線を発表しており、日高線はそのきっかけになった路線です。今後北海道が地方と協議しながら総合的な交通体系の構想を立てて国と協議していかなければならないと思っています。

震災の後始末

今日は大震災の津波で大きな被害を受けた、福島第一原発の現場視察をしました。

歴史に残る大震災と、その津波によって大事故を起こした福島第一原発は放射性物質との戦いながらも一歩一歩は色作業が進んでいることが見て取れました。爆発当時は数値が高く近寄れなかった現場周辺では、私たちもバスの中からながら普通の服装で見て回ることができるほどになっていました。最初に水素爆発を起こした一号機はまだ上にがれきが残ったままになっていて当時の姿が残っていましたが、一つ一つ新しい技術を導入して、年数はかかるものの廃炉に向けて作業が進んでいました。

放射能によって帰宅困難地域となった、楢葉町や双葉町、大熊町などゴーストタウンとなった地域も通り、住んでいた人たちの生活が一瞬の事故で奪われた現実も実感できました。

夢の装置

有志で、茨城県大洗にある日本原子力研究開発センターの視察に出向きました。

ここでは、高速実験炉「常陽」やHTTR(高温ガス炉)、軽水炉安全技術研究装置などを視察し説明を聞きましたが、原子力に対する逆風の中、将来のエネルギーを確保するための研究が行われていることを改めて知ることになりました。

高速実験炉は液体ナトリュウムを介して、中性子を高速で動かすことで、不活性なウラン298を活性のあるプルトニュウム299に変えて発電に使うというもので、核廃棄物を減らし燃料の利用度をあげることができるものです。

また、高温ス炉は燃料となるウランをセラミックコーティングし安定性を高めたうえで、水素爆発の危険のないヘリウムを使い950度という高温で運転をし、発電のほか水素を作ることや化学反応を進め化学物質の製造に活用するなど得られるエネルギーをより効率利用できるもので、最大30万キロワットと小規模ながら、安定性も高く地下に作ることができることで、万一の時の対処や、必ずしも海岸に作らなくともよくなるなど、夢のような可能性を秘めた原発です。

悩みは東日本大震災以降研究費が少なくなり、研究が滞っていることです。